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『太陽を盗んだ男』を放った、ゴジと呼ばれた男【そのとき映画は誕生した Vol.4 後編その1】

©1979 TOHO CO., LTD. / Tristone Entertainment, Inc.

『太陽を盗んだ男』を放った、ゴジと呼ばれた男【そのとき映画は誕生した Vol.4 後編その1】

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自主映画化する『太陽を盗んだ男』



 長谷川がカースタントの撮影にかかりきりになる一方、それ以外の未撮影部分――後ろ姿や遠景など、俳優本人が演じなくてもよいカットやインサートショットを撮り切る時間も足りなくなり、遊撃班となるB班が編成された。


 このあたりの事情は、助手として脚本執筆に携わり、初めて商業映画の現場に制作として参加した黒沢清が語っている。


「本隊だけでは撮り切れない量が残っていて、簡単なカットはB班が撮影することになりました。B班監督はチーフ助監督の相米さんです。ところが、制作部の上の方はもう次の仕事が入っていてほとんど足を運べない状況になり、現場に残っているのは制作進行の一番下っ端だった僕と、僕の直接の上司の二人だけになりました」(『黒沢清の映画術』)


 こうしてB班は、相米、黒沢に加えて、撮影助手で参加していた栗田豊通が撮影を担う編成となった。栗田は後に相米の『お引越し』(93)、大島渚監督『御法度』(99)を手掛けたことで知られる。


 映画の冒頭、原発(撮影場所は横須賀火力発電所)を望む高台で、双眼鏡をのぞく城戸の後ろ姿を撮影したのはB班で、沢田に風貌のよく似たボディダブルが演じている。それ以外にも、注意して観れば、沢田本人の顔が映っていないショットが意外に多いことが分かる。


 制作の責任者としてロケ費用をもたされ、カチンコも叩き、時には相米にこっちからも撮ってくれと言いながら、自分で探してきたロケ地へ連れて行くこともあった黒沢にとって、B班撮影は実に楽しかったという。本来は末端の見習いのような立ち位置のはずが、主体的に映画に携わることになったからだ。商業映画としては異例ともいえる状況を、黒沢はこう語っている。


「僕が出世してそうなったんじゃなくて、『太陽を盗んだ男』がだんだん自主映画化していったんです」(『僕たちはこうして映画監督になった 8ミリ映画時代を語る』)


 実際、本隊の撮影中でも、黒沢は雑用をこなしながら、長谷川から脚本の直しを求められることや、逆にこう撮ってはどうかと提案していたというから、全国東宝系で公開される商業映画とは、にわかに信じがたい。


 長谷川自身、大学を中退して今村プロに入り、最初に付いた『神々の深き欲望』の現場で生意気な発言をしても、監督の今村昌平から可愛がられていた。そうした経験があったからこそ、長谷川もまた、まだ海の物とも山の物ともつかない黒沢の才能を見抜き、主体性を持って活動するよう求めたのかもしれない。




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