2019.11.01
ルディ・レイ・ムーアとエディ・マーフィ、不死身のカムバック王
ルディ・レイ・ムーアは、古いタイプのエンターテイナーだった。歌手であり、ダンサーであり、コメディアンであり、時には占い師だったこともあるようだ。人を楽しませることが出来るならば、何でもする。
ルディ・レイ・ムーアの『ドールマイト』でも、そして本作のエディ・マーフィも披露していた「シグニファイイング・モンキー」の話芸は、ルディ・レイ・ムーアの十八番であるが、「トースト(Toast)」と言われるアメリカ黒人伝統の口頭伝承で伝わる、奴隷時代からの有名な話である。伝統的な話の中に、ルディ・レイ・ムーアは独特の卑猥なアレンジを即興で加え、その話を披露していたのだ。その芸の誕生秘話を見れるのも自伝映画の醍醐味であろう。
自伝映画と言えば、オーソドックスな自伝映画では、幼少期も描かれたりするが、本作はもう既に中年となっているルディ・レイ・ムーアが登場し、期間にしたら5-6年という短いスパンで描かれている。本人はあまりエンタメの世界に入る前の生い立ちを昔から語ることがなかったが、本作を見るとその理由が分かる。エディ・マーフィが、傍若無人で面白いルディ・レイ・ムーアと、語りたくない過去という闇を抱えたルディ・レイ・ムーアを、上手く切り替えて演じていたのが印象的だ。
エディ・マーフィには本作の構想が15年前からあり、生前のルディ・レイ・ムーアのステージに足しげく通い、本人と会話したりしてルディ・レイ・ムーアの役作りに励んだ。製作に踏み切った理由を「良い映画が出来ると自分の才能を信じ、大きな夢に向かうルディ・レイ・ムーアから勇気をもらった」と語っている。
エディ・マーフィのキャリアは、自主製作までして映画を作ったルディ・レイ・ムーアとは対照的だ。10代の頃からスタンダップコメディアンとして活躍していたエディ・マーフィは、19歳の頃には人気のTV番組『サタデー・ナイト・ライブ』のレギュラーに抜擢され、主演映画『ビバリーヒルズ・コップ』(84)はブロックバスター映画となり、その後もコンスタントにヒット作に出演し続け、間違いなく一時代を築いた大スターであった。しかし、エディ・マーフィが批評家から評価されることは少なかった。
やっとの思いで『ドリームガールズ』(06)で当たり役を掴み、ゴールデングローブ賞や全米映画俳優組合賞などは受賞したが、念願のアカデミー賞だけは逃してしまった。この時にエディ・マーフィが受けた心の傷はとても深かったと言われている。『ジャックはしゃべれま1,000(せん)』(12)後は、暫く休みを取って、セミリタイアを発表していたほどだ。そして、初の笑いなしのシリアス作品『Mr. Church』(16)にも挑んだが、こちらも見事にコケてしまい、また3年ほど休んでしまう。
エディ・マーフィはインタビューで「ルディ・レイ・ムーアの凄いところは、『ドールマイト』は、絶対に良い映画になると信じていた。それが成功の一番の秘訣で、ルディの才能だった」と話している。エディ・マーフィも本作を信じた。人を楽しませるエンターテイナーに徹したルディ・レイ・ムーアを演じたことで、エディ・マーフィに何か気づかせたのかもしれない。我々が見たいと望んだ最高に面白いエディ・マーフィが、『ルディ・レイ・ムーア』で帰って来た。
本作でジミー・リンチがルディ・レイ・ムーアに向かって「お前は不死身(英語ではカムバック王)のはずだろ」と言っていたが、エディ・マーフィも不死身のカムバック王なのだ。本作には、エディ・マーフィのコメディへの愛と尊敬、役者としての野望と情熱、そして大きな夢が詰まっている。『ルディ・レイ・ムーア』は、エディ・マーフィのキャリアの集大成なのである。
雑誌「映画秘宝」(洋泉社)を中心に執筆。著書『ブラックムービー ガイド』(スモール出版)が発売中。
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