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『アイリッシュマン』マーティン・スコセッシが描いてきたギャング映画への「落とし前」

『アイリッシュマン』マーティン・スコセッシが描いてきたギャング映画への「落とし前」


男の散り方にこだわるスコセッシの新たな視点



 スコセッシはこれまでデ・ニーロとの初コンビ作『ミーン・ストリート』(73)以降、何度も一緒に映画を撮ってきた。『ミーン・ストリート』ではデ・ニーロは暴力的な若きギャング、ジョニー・ボーイを好演し、俳優として認められるきっかけにもなっている(ただ、日本では後に作られた『タクシー・ドライバー』(76)の方が先に公開されたので、こちらの強烈なイメージの方が先行した)。


 その後もデ・ニーロにオスカーをもたらした『レイジング・ブル』(80)、『キング・オブ・コメディ』(83)など次々とコンビ作を作ってきた。こうしたスコセッシの代表作で好んで描かれてきたのは、男の散り方、あるいはサバイバルというテーマである。自分の人生へのオトシマエのつけ方をスコセッシは描く。


 たとえば、実録物の『グッドフェローズ』の主人公ヘンリー・ヒルは仲間を売り、司法取引をして、法に守られながら生き残る道を選ぶ(シド・ヴィシャスの曲、「マイ・ウェイ」の歌詞が内容にすごく合っていた)。また、『カジノ』のカジノ経営者は華やかな世界に身をおいていたが、最終的には地味な人生を選ぶことで生き残っていく。またロックのコンサート映画の傑作『ラスト・ワルツ』(78)でスコセッシが見つめていたのは、ザ・バンドの解散(=男の散り方)である。




 再び、実録物に取り組んだ『アイリッシュマン』にも、男の散り方、あるいはサバイバルというテーマが読み取れる。ほんの一瞬しか出番のない人物も多いが、重要人物の横にはテロップが入り、その後の運命(その散り方)が明かされる。


 スコセッシはデ・ニーロとのコンビ作に関して、「以前より深めることのできない題材は取り上げたくない」とAFI主催で開かれたトークショーで語っていたが、今までのギャング映画と異なっているのは壮絶な生き方をしてきた彼らの老いや孤独がテーマになっている点だろう。


 主人公のシーランは感情を表に出さず、プロの仕事人として生きてきたアイルランド系ギャングだが、時間が経過してみると自分の人生の無意味さや後悔も感じ始める。彼の師はバッファリーノで、最初に出会った頃は酒場でおいしいワインを口にしているが、後に刑務所に入ってからはグレープ・ジュースを味気ないカップで飲む。晩年のほろ苦さが描かれる後半はスコセッシの新境地となっていて、その悲哀感がじわじわと胸に突き刺さってくる。




 出演者のデ・ニーロ、パチーノ、ペシも、そして、監督のスコセッシもすでに70代半ばから後半にさしかかっている。すでに老境にさしかかった彼らの気持ちが人物たちに託され、この部分にこそ、ドラマとしての醍醐味がある。


 『グッドフェローズ』や『カジノ』の原作者で、今回は製作総指揮を担当しているニコラス・ピレッジは、この2作と『ミーン・ストリート』『アイリッシュマン』を“スコセッシ&デ・ニーロのギャング映画4部作”と考えているという。スコセッシは主人公の晩年の姿をじっくり見つめることで、4部作にオトシマエをつけたといえそうだ。



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