2021.03.24
タランティーノを惹きつけた、カンフー映画の魅力
クエンティン・タランティーノをこれほどまでに惹きつけるカンフー映画の魅力の一つは、全てのジャンルを内包しているところだろう。
例えばブルース・リー『燃えよドラゴン』の物語骨子はスパイものだし、ジェット・リー『少林寺』(82)は歴史もの。ドニー・イェン『ドニー・イェン COOL』(98)は殺し屋を主人公にしたピカレスクもの。ジャッキー・チェン『ゴージャス』(99)に至っては恋愛ものの王道展開をしていく。
これほど多くのジャンルを内包していながらも共通する点がある。逆説的な言い方になるが、全てのカンフー映画でカンフーの戦いが描かれている点だ。
単にサスペンス映画であるとかメロドラマ映画ならば、目覚ましい事は何も起こらないまま映画が終わってしまうこともある。しかし、カンフー映画であれば、ミステリーへの疑いの視線は強い打撃で表わされ、メロドラマの情熱的な恋心は鋭い蹴りで表わされる。思想や概念が、打撃の応酬という血沸き肉踊る映画的表現で表わされるのだ。
ほとんど全てのジャンルを内包・超越し、言語や文化の違い、世代の違いまでも飛び越え、観る者に有無を言わせずに伝えてしまう、究極的なコミュニケーションで作られている「カンフー映画」。これをフィルモグラフィに加えたくなるのは、世界中のジャンル映画を愛するタランティーノであればこそ。それは当然の事であったと言えるだろう。
文: 侍功夫
本業デザイナー、兼業映画ライター。日本でのインド映画高揚に尽力中。
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