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『お嬢さん』〈解放〉と〈帝国〉のおとぎ話、パク・チャヌクの翻案術 ※ネタバレ注意

© 2016 CJ E&M CORPORATION, MOHO FILM, YONG FILM ALL RIGHTS RESERVED

『お嬢さん』〈解放〉と〈帝国〉のおとぎ話、パク・チャヌクの翻案術 ※ネタバレ注意

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〈解放〉の精神をあらわすもの



 『お嬢さん』の根底に流れる〈解放〉の精神を象徴するのは、秀子の視点で幼少期からの出来事が語られる第二部のクライマックスだ。スッキと秀子が屋敷を離れる夜、秀子は自殺未遂ののち、叔父の書斎に入り、そこで開かれていた朗読会の真実をスッキに語る。これを聞いたスッキは怒りに身を任せ、書物の数々を剃刀で切り刻み、インクで汚し、畳の下の池に沈めていった。それは文字通り、秀子を抑圧していたものを破壊すること。秀子は心の中で、スッキを「私の人生を壊しにきた救世主」と呼ぶ。


 『荊の城』において、この、叔父の書物を破壊するくだりはさほど劇的に描かれていない。屋敷を出る夜、令嬢・モードは叔父の書物を剃刀で切り裂くが、その様子はほんの数行で記されているのみ。書物を破壊するのがメイドのスウでも、あるいは二人そろっての作業でもなく、モードひとりだけだという点も大きく異なる。


 しかしチャヌクは、明らかにこの場面を物語全体のキーとして捉えていた。同じく二人が屋敷を離れるシーンを例に挙げながら、チャヌクは「一人ではなく二人で壊す」という改変の背景にあった狙いを語っている。ポイントは、“伯爵”の待つボートへ向かう途中、秀子がスッキに足場を作ってもらい、屋敷と外界を隔てる壁を越える場面だ。


 「女性たちは岩の壁を越えた時、その壁がいかに低かったのかを知ります。壁を越えたいと願えば、きっと秀子はいつでもその壁を越えられたのでしょう。しかし、深く刻まれたトラウマがそうはさせなかった。そこにスッキが現れ、秀子は愛を知ることができました。そして、自由のために壁を超える勇気を手に入れたのです。」

 

『お嬢さん』© 2016 CJ E&M CORPORATION, MOHO FILM, YONG FILM ALL RIGHTS RESERVED


 上月家の、ひいては叔父の抑圧から解放された秀子は、別の場面でも勇気によって自らを守っている。“伯爵”との新婚初夜、秀子は布団を並べて床に就くが、決して男に身体を委ねることはしないのだ。そこで行われるのは、自慰行為と、自らの掌を切って血を出し、初夜の証拠として布団を汚すこと。この場面も原作とは異なり、『荊の城』で初夜のベッドを血で汚すのは、令嬢・モードではなく詐欺師のリチャードである。リチャードは自分のプライドのためにモードの申し出を断ると、ペンナイフで自分の手首を切るが、そこで出血と痛みにうろたえる様子はいかにも情けない。しかし秀子は、“伯爵”に介入の隙を与えず、自分の意志と血により、毅然として初夜を終えるのだ。


 すべてが終わった後、ついに再会した秀子とスッキは、海を渡る大型客船の船室で再び結ばれる。そこで二人は、かつて叔父が秀子を傷つけたものを思わせる球体の鈴を使い、また以前は男たちの前で朗読されていたプレイを手段として用いて、思うがまま快楽を享受するのだ。それは秀子が自分の肉体と性を自らのものとして取り戻すことであり、また、男たちの欲望に消費されていた物語を、今度は自分たちの欲望と快楽のために使うことである。


 これは余談だが、チャヌクは「秀子」という役名を女優・高峰秀子から取ったことを明かしているが、これは高峰が、成瀬巳喜男監督の作品において“自立した女性”をいくたびも演じていたことが理由。チャヌクは高峰を、その意味で「理想の女性」と呼んでいる。


 『お嬢さん』は、家と叔父に支配され、また男性の視線によっても支配されてきた秀子が、スッキの手を借りて自由になる物語だ。もちろん、スッキも自分の望んだ自由を手にしている。貧しい環境で育ったスッキの目的は、大金を手にして朝鮮半島を離れることだったからだ。むろん〈解放〉がテーマである本作においては、スッキをめぐる物語にも企みが仕掛けられている。ある点では、そちらにこそチャヌクの狙いがダイレクトに表れているとさえいっていいだろう。





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