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『お嬢さん』〈解放〉と〈帝国〉のおとぎ話、パク・チャヌクの翻案術 ※ネタバレ注意

© 2016 CJ E&M CORPORATION, MOHO FILM, YONG FILM ALL RIGHTS RESERVED

『お嬢さん』〈解放〉と〈帝国〉のおとぎ話、パク・チャヌクの翻案術 ※ネタバレ注意

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ふたつの〈帝国〉を脱出する



 秀子の苦しみとは別に、苦しい環境で育った孤児のスッキは、自分の居場所を朝鮮半島の外に求めていた。いわば、自分自身の置かれている社会のヒエラルキーから脱出しようと目論んだのだ。それゆえに上月家にもぐり込むという仕事は、近い目標を持っていた“伯爵”との間で利害が一致したのである。劇中で語られるように、“伯爵”もまた済州島出身の元・作男(貴族階級の家に仕える下男)だからだ。


 翻案にあたり、舞台設定を19世紀のロンドンから1939年の朝鮮半島に変更した理由を、チャヌクは「(日本統治下の)朝鮮の社会には階層構造が残っていたが、同時に近代化も進んでいた」ためだと語っている。原作の『荊の城』にも身分やヒエラルキーというテーマはあるが、『お嬢さん』はそこに朝鮮と日本、帝国と植民地、貴族と貧民といった複数の対立軸を持ち込んだ。国家や国民の意志とは無関係に、あまたの異文化が流入した時代を舞台とすることで、物語を支える背景がより膨らむことになったのだ。特に大きな効果を発揮したのが上月家主人、つまり秀子の叔父の造形である。


 「日本の統治下においても、上流階級には日本を敬愛する知識人たちがいました。今で言えばアメリカ、あるいはフランス、ドイツを敬愛するということになるのかもしれません。日本統治以前、朝鮮半島は数百年間にわたって中国を敬っており、当時の支配層や知識人の中にはそれを道徳とする人々もいました。[中略]小さな国家が大きな国家の力に憧れ、その力に従属することが内面化されていたのです。だから強制されるまでもなく、自発的に大きな力を敬愛する。上月の叔父を通して、そういった哀れな、悲しい、情けない人々を描こうとしました。情けないとは言うものの、彼らは同じ国の人々にとって、大いなる脅威、深刻な危機になりえるのです。」


『お嬢さん』© 2016 CJ E&M CORPORATION, MOHO FILM, YONG FILM ALL RIGHTS RESERVED


 こうチャヌクが言うように、上月という男には、日本人の華族に憧れながら、実際には決して身分の高くない朝鮮人だという“ねじれ”がある。日本と西洋の影響をそのまま融合した屋敷の建築は、その内面がストレートに反映されたものだろう。書斎では西洋のライブラリと畳、日本庭園がひとつになっており、人の出入りを制限できる機械仕掛けも備え付けられ、地下室には主人の欲望がありのままに陳列されている。上月家の屋敷は、まぎれもなく、主人が憧れる世界そのものだ。


 すなわち『お嬢さん』という物語の根底には、ふたつの〈帝国〉が横たわっていることになる。当時の朝鮮を統治する大きな〈帝国〉と、その力に憧れる凶暴な家父長制によって築かれた、上月家という小さな〈帝国〉だ。共通するのは“権力”あるいは“暴力”であり、劇中では、そのおぞましさが男性という形で噴出する。たとえば冒頭で町を闊歩する軍人、秀子を虐待する上月、官能小説を朗読する秀子を見つめる聴衆の男たち……。すべて、一様に他者を支配する者たちである。


 秀子は上月家という〈帝国〉に支配され、スッキも〈帝国〉に支配された社会構造に抑圧されている。したがって二人は、ふたつの〈帝国〉から、すなわち劇中では男たちから〈解放〉されることを目指すのだ。すでに述べたように、スッキと秀子は協力することによって〈帝国〉を克服し、その先へと進んでいく。では、彼女たちに置いていかれた〈帝国〉、言い換えれば男たちはどうなったのか?





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