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『お嬢さん』〈解放〉と〈帝国〉のおとぎ話、パク・チャヌクの翻案術 ※ネタバレ注意

© 2016 CJ E&M CORPORATION, MOHO FILM, YONG FILM ALL RIGHTS RESERVED

『お嬢さん』〈解放〉と〈帝国〉のおとぎ話、パク・チャヌクの翻案術 ※ネタバレ注意

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最後に“悪”を倒すのは誰か



 『お嬢さん』は帝国主義を、そして男性による支配を厳しく批判し、スッキと秀子に〈解放〉をもたらした。しかし、実はこれまた『荊の城』とは大きく異なるところなのである。スウとモードは最後まで19世紀ロンドンの社会構造から逃れられず、ラストにおいて、二人は上月家屋敷=ブライア城に戻ってくることにさえなるからだ。一方、『お嬢さん』で屋敷に戻るのは“伯爵”である。そこで“伯爵”は、取り残された〈帝国〉の主人たる上月と対面するのだ。


 しかしながら『荊の城』における最大の悪役は――必要以上の言及は避けるものの――モードの叔父ではない。スウとモードがブライア城を去った後、叔父は「頭がおかしくなった」とされ、のちに寂しく無惨な死を遂げたことが語られるのみで、二度と登場しないのだ。その代わりに悪役としての役割を担うのは別の男性であり、彼はクライマックスで女性たちによって殺害される。


 チャヌクが叔父を最大の悪として据えた理由は、先に引用した本人の言葉を踏まえれば明らかだろう。上月は自らを支配する〈帝国〉に憧れ、身も心も日本人を目指し、自分の民族性や背景さえ売り渡した男だ。スッキや秀子、そして“伯爵”の三人は、みなアイデンティティの危うさや揺らぎ、偽りをそれぞれ自認しながら生きているが、上月だけが偽りを偽りでないものとしたまま、自分の〈帝国〉を作って支配行為に及んでいる。


 そしてチャヌクは――原作で最後に悪を倒すのが女性だったのに対して――悪の〈帝国〉を倒すことに女性をまったく関与させない。それもそのはず、スッキと秀子は〈帝国〉を逃れて自分の人生を取り戻せばよいのであって、殺人に手を染めてまで〈帝国〉を倒そうとする必要はないのだ。原作のように悪役を殺してしまえば、彼女たちは“罪”と“罰”をめぐる社会構造に取り込み直されてしまい、チャヌクの意図した〈解放〉にはたどりつけない。そこで、代わりに悪を倒す役目を担ったのが“伯爵”だったのである。

 

『お嬢さん』© 2016 CJ E&M CORPORATION, MOHO FILM, YONG FILM ALL RIGHTS RESERVED


 そもそも“伯爵”は、スッキとともに〈帝国〉への反抗を試みた男だ。元・作男が日本人の華族を名乗り、上月を騙して大金をせしめようという企みは、詐欺師ならではの方法で、覆しがたい社会構造に一矢報いるための戦術なのである。民族性ごと偽ることは上月に近いようにも思われるが、“伯爵”は自らのアイデンティティを手放さない。悪党には違いないが、秀子に近づく際、正体を明かし、計画をすべて話すあたりには誠実さも見て取れる。


 “伯爵”の男性性が、上月や他の男性よりもやや複雑なものとして描かれたことにも注目しよう。誰よりも真摯に計画に取り組み、スッキや秀子との間では実直でユーモラスな一面さえ垣間見せることもある“伯爵”は、ことが思い通りに進まなくなるとスッキに暴力を振るい、秀子に惚れるや最後には強姦しようとする。彼の〈男らしさ〉は、他者をコントロールできそうな局面になると、たちまち有害きわまりないものに転じ、それが彼の冷徹さや残酷な一面にも結びついているのだ。それが“伯爵”という男に根ざした支配欲であり、それが内面化された〈帝国〉なのである。


 秀子が逃げた後、“伯爵”は屋敷に連れ戻され、地下室に拘束される。しかし、上月の激しい拷問を受けながら、“伯爵”は耐え忍び、秀子との初夜についてさえ語ることを拒む。上月の欲望のために秀子を差し出さず、水銀の煙草を二本吸うことで〈帝国〉を倒すのだ。そこにいるのは、計画の半ばで秀子に自らの正体を語り、秀子の自殺願望を正面から否定した、あくまでも実直な男ではなかったか。


 “伯爵”は〈男らしさ〉という、いわば〈帝国〉と背中合わせの属性によって〈帝国〉を倒し、そこで命を落とす。最後に“伯爵”は「チンポを守れてよかった」と口にするが、これは彼自身の多面的な〈男らしさ〉を示すセリフだ。性器に象徴される男性性を守れなければ、“伯爵”に〈帝国〉は倒せなかっただろうし、逆に、男性性があるからこそ〈帝国〉は生まれる。いずれにせよ、チャヌクは〈帝国〉を倒すのは〈帝国〉になりうる〈男らしさ〉でなければならないと考えたのだろう。





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