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『トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング』創造的な挑発を持つ“永遠の人物”

© PUNK SPIRIT HOLDINGS PTY LTD, CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION, ASIA FILM INVESTMENT GROUP LTD AND SCREEN AUSTRALIA 2019

『トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング』創造的な挑発を持つ“永遠の人物”

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『トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング』あらすじ

19世紀、オーストラリア。貧しいアイルランド移民の家庭に育ったネッド・ケリー。頼りにならない父の代わりに、幼い頃から、母と6人の姉弟妹を支えてきたが、父の死後、生活のため母はネッドを山賊のハリー・パワーに売りとばす。ネッドはハリーの共犯として10代にして逮捕・投獄されてしまう。出所したネッドは、娼館で暮らすメアリーと恋に落ち、家族の元に帰るが幸せも長くは続かない。横暴なオニール巡査部長、警官のフィッツパトリックらは、難癖をつけてはネッドや家族を投獄しようする。権力者の貧しい者への横暴、家族や仲間への理不尽な扱い。自らの正義、家族と仲間への愛から、ネッドは弟らや仲間たちと共に“ケリー・ギャング”として立ち上がり、国中にその名を轟かすおたずね者となっていく…。


Index


オーストラリアの伝説の無法者、ネッド・ケリーの生涯



 ネッド・ケリー(1854~1880)は19世紀のオーストラリアが生んだ国民的なヒーロー。日本では、その名前を知る人は少ないだろうが、本国では強盗などの罪を犯しながらも最後まで権力者たちと戦い、大衆に支持された。彼は多くの手紙を残し、25歳で死刑となった。死後、彼は反権力の象徴的な人物となり、本国にはネッド・ケリーの博物館もあり、観光客に人気を得ている。


 00年に行われたシドニーオリンピックの開会式では、ケリー率いるケリー・ギャングたちが警察との戦いで使ったバケツをくりぬいたような防護品を身に着けた一団が登場して、注目を集めた。オーストラリアのロビン・フッド、あるいはジェシー・ジェームズともいわれ、現在も人気が続いている。

 

『トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング』© PUNK SPIRIT HOLDINGS PTY LTD, CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION, ASIA FILM INVESTMENT GROUP LTD AND SCREEN AUSTRALIA 2019


 『トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング』(19)はそんな彼の短い生涯を描いた映画だ。監督は『アサシン・クリード』(16)や『マクベス』(15)のオーストラリアの監督、ジャスティン・カーゼル。主演は『1917』(19)で主役の兵士に扮した英国の若手男優、ジョージ・マッケイ。


 今回の映画化を見て、初めてネッド・ケリーの名前を知る人もいるだろうが、彼の生涯は20世紀初頭のサイレント映画の時代から何度も映画化されてきた。初めて若い主演者を起用したのが『太陽の果てに青春を』(70)で、ここではミュージシャンのミック・ジャガー、『ケリー・ザ・ギャング』(03、日本ではDVD公開)ではオーストラリア出身の男優、ヒース・レジャーがネッド役を演じていた。ただ、ミック版は日本ではすごく埋もれているし、ヒース版は劇場公開されていないので、こうした過去の映画を知らない人もいるだろう。


 これまでのネッド・ケリー映画の製作背景をたどりながら、新版の製作意図を考えてみたい。





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