「自らの意志で行動する」、“奪還”の物語
“家族”の細やかな設定が光る『ブラック・ウィドウ』だが、敵役のドレイコフに描写においても上手い。彼を「陰から操るフィクサー的なポジション」にすることで、強大な権力を有する悪鬼ながら表に出てこないため捕まえられない、という説明がなされている。暗殺したはずのドレイコフが生きていることに衝撃を受け、「私のネットワークには引っかからなかった」といぶかしがるナターシャに、エレーナが返す「ドレイコフはアベンジャーズには手を出さない」「キャプテン・アメリカはレッド・ルームを潰さない(存在を知らないため)」というセリフに、彼の狡猾さが垣間見える。
ドレイコフは、各国の少女たちをさらい、或いは秘密裏に金で買い取り、意のままに操れる戦闘集団“ウィドウ”として育て上げていた。このあたりはジェニファー・ローレンス主演作『レッド・スパロー』(18)とも通じる部分であるが、ドレイコフが言い放つ「私が利用するのは天然資源。小娘だ」というセリフがおぞましい。
『ブラック・ウィドウ』(c)Marvel Studios 2021
そうした独裁的に他者を利用する悪党に対し、皆が反旗を翻す「奮起のドラマ」は、『ブラック・ウィドウ』の核でもある。レッド・ルームからなんとか足抜けし、アベンジャーズとして自由意志で正義を行える立場になったナターシャにとって、行動理念の大部分は「人を助ける」こと。それは暗殺者に仕立て上げられた己の過去に対するリベンジでもあり、だからこそアベンジャーズが強大すぎたことから生まれた抑制策であり、「権力の管理下に置かれる」ソコヴィア協定に対して葛藤するわけだ。そんな彼女が、妹エレーナを含めたウィドウたちを解放しようと身を粉にして奮闘する『ブラック・ウィドウ』は、必然の物語ともいえる。
自分で決めること。これはアベンジャーズの一員となったナターシャが獲得した権利であり、洗脳が解けたエレーナがこれから体現していくものでもある。彼女が「初めて自分で選んで買った」というポケットだらけのジャケットも、奪われた人生を取り戻す第一歩なのだ。
久々に再会し、セクハラ発言を行うアレクセイにエレーナが「私たちは生殖機能を奪われている」と返し、詳細を説明するシーンは、これまでのMCU作品の中でもなかなか攻めたセリフであるかもしれないが、ここを抜きにしては本作の真のテーマは描けない。また、後半にはドレイコフと対峙したナターシャがある驚きの行動をとるシーンも含まれるが、ここもまた、「自分で決めて、自分の意志で行動する」ためには不可欠なものといえよう。声を上げること、行動すること。これは当然ながら映画の中だけの話ではなく、現実世界にも拡張していく。
『ワンダヴィジョン』では「力を持つ者」の危険性に言及し、『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』では正義が崩壊するさまを政治的要素を絡めてえぐり出すなど、【フェーズ4】に入ってより踏み込んだ描写を推進するようになったMCU。毅然とした態度を貫く『ブラック・ウィドウ』は、革命の狼煙といえるのではないか。
文:SYO
1987年生。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクション・映画情報サイト勤務を経て映画ライター/編集者に。インタビュー・レビュー・コラム・イベント出演・推薦コメント等、幅広く手がける。「CINEMORE」 「シネマカフェ」 「装苑」「FRIDAYデジタル」「CREA」「BRUTUS」等に寄稿。Twitter「syocinema」
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ウォルト・ディズニー・ジャパン (c)Marvel Studios 2021
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