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『ブラック・ウィドウ』自らの手で、未来を奪還する。10年かけて到達した高潔な「過去編」

(c)Marvel Studios 2021

『ブラック・ウィドウ』自らの手で、未来を奪還する。10年かけて到達した高潔な「過去編」

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説得力が光る、ナターシャの“家族”設定



 いまでこそ、ディズニープラスの『ワンダヴィジョン』『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』『ロキ』などで単体作品が続々と登場しているが、もともとMCUの【フェーズ4】は2019年7月のサンディエゴ・コミコンにおけるラインナップ発表当初、『ブラック・ウィドウ』から始まる予定だった。順番が前後してしまった(とはいえ、本作が後ろ倒しになったことで、全体のストーリー自体に生じた影響はなさそうだ)点を抜きにして考えると、いわば現在の単体作品ラッシュは、『ブラック・ウィドウ』で口火を切る予定だったわけだ。


 単体作品のウィークポイントは、一人の人物を掘り下げて描ける反面、キャラクターの豪華度が薄まってしまうこと。さらにMCUシリーズに関して言うと、敵を強くし過ぎると『アベンジャーズ』シリーズとのパワーバランスが乱れてしまうため、ダイナミズムを生み出すのはなかなか大変だ(もちろん、『マイティ・ソー バトルロイヤル』のヘラ(ケイト・ブランシェット)やキャプテン・マーベル(ブリー・ラーソン)のような“鬼強”なキャラクターもいるのだが)。


 だが、『ブラック・ウィドウ』においては、新登場&本格登場のキャラクターたちが、とかく魅力的。その筆頭が、ナターシャがかつて共に暮らした疑似家族だ。それぞれの設定も非常に練られており、父母は元工作員で、妹もナターシャと同じく地獄の訓練を耐え抜き、全員が人並外れた戦闘力を備えている。母メリーナ(レイチェル・ワイズ)と妹エレーナ(フローレンス・ピュー)はナターシャと同じく“ウィドウ”の一員で、父アレクセイ(デヴィッド・ハーバー)はソ連が生み出したスーパー・ソルジャーの第一号と、全員が過酷なバックボーンを抱えている。



『ブラック・ウィドウ』(c)Marvel Studios 2021


 これまでの作品で皆が登場しなかった理由も「そもそも潜入任務のための疑似家族で、ドレイコフの策略で離ればなれにされた」「アレクセイは囚人として幽閉されていた」「メリーナはドレイコフの監視下にあり、自由に動けなかった」「エレーナは暗殺者として洗脳されていた(任務中に特殊なガスを浴びたことで洗脳が解け、今回の物語が動き出す)」とそれぞれに納得がいくものになっており、“約20年ぶりの再会”にも説得力が伴っている。


 そこに、「任務上の偽の家族に、愛はあったのか?」というテーマを背負ったドラマが加わっていき、権力に踊らされ続けた4人が「馬鹿」「卑怯者」と本音をぶつけ合うことでお互いの愛情を認め、真の家族であり仲間として共闘していくさまが美しい。ナターシャがメリーナから授けられた「痛みは人を強くする」という言葉や、エレーナとアレクセイがかつて一緒に歌っていた“思い出の曲”「アメリカン・パイ」がスイッチとなるなど、この辺りも伏線回収が見事だ。


 また、アレクセイが“ソ連版キャプテン・アメリカ”だった点も米ソ冷戦を象徴しており、実に興味深い(ウィンター・ソルジャーとの関連も)。アメリカに追いつけ追い越せ状態の中で我欲に取りつかれたアレクセイは思想が歪み、「自分は英雄になるはずだった」という想いに固執していたが、“家族”と再会することで己の行動を反省し、家族を一番に考える父親像を獲得していく。歴史を背負ったキャラクターでありながら、成長ドラマを担ってもいるのだ。彼が対決する強敵タスクマスターが、キャプテン・アメリカをはじめアベンジャーズの技をコピーしている点も、こうしたドラマと連動しており「因縁を越える」テーマを浮かび上がらせている。




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