疎外への感受性
ジャニス・ジョプリンのアルバムジャケットのアートワーク等を手掛けたことでも知られる漫画家ロバート・クラムを追ったドキュメンタリー『クラム』(94)で、評価を高めたテリー・ツワイゴフは、妻に薦められて『ゴーストワールド』の原作に出会う(『クラム』はデヴィッド・リンチによるプロデュース作品でもある)。そしてロバート・クラムの伝手で『ゴーストワールド』の作者ダニエル・クロウズと出会う。テリー・ツワイゴフとダニエル・クロウズは、脚本の執筆に二年の歳月をかけたという。本作のメイキング映像には、監督の横に原作者が常に座ってモニターを眺めているという、珍しい撮影風景が残されている。
イーニドの疎外感の前には、カントリーブルースのレコードコレクターであり、恋愛と無縁な生活を送っているシーモア(スティーブ・ブシェミ)が、社会から受けている疎外がある。原作とは異なるこのシーモアのキャラクターには、監督であるテリー・ツワイゴフの思いが大いに反映されている。シーモアというキャラクターは、スタジオ側から提示された”十代の女の子の映画にふさわしいポップミュージック”を拒否するための口実でありつつ、シーモアと同じくマニアックなレコードコレクターである監督の趣味を反映している。アンティーク雑貨とレコードで埋め尽くされたシーモアの部屋は、テリー・ツワイゴフの部屋をモデルにしているという。
『ゴーストワールド』(c)Photofest / Getty Images
当初、シーモアにいたずらをする目的で近づいていったイーニドは、シーモアが受けている社会からの疎外を目の当たりにし、シーモアの疎外に自身の疎外を重ねていく。『ゴーストワールド』が、他と一線を画した感受性を示す作品といえるのは、社会からの疎外を感じている人が、人に察知されないように屈辱を受け入れている姿を、イーニドという少女が、その強い感受性によって感知しているところだろう。彼らは社会から受ける屈辱を受け入れたり、屈辱を受け流してしまう術を、自己防衛のために自然と身につけてしまっている。イーニドは、その姿に自身を重ねると同時に、言いようのない悔しさ、怒りを覚える。
それは美術の補習授業で、ティーカップにタンポンを入れた「アート」作品が称賛され、自身の作品が貶される展開にも残酷に表されている。テリー・ツワイゴフとダニエル・クロウズが再度タッグを組む後年の傑作『アートスクール・コンフィデンシャル』(06)でも同じことが繰り返される。そこでは他人からの称賛の言葉さえ、誤解や無理解、疎外感を感じる元となっている。