スクラップブックの想像力
ロバート・クラムのスクラップブックが、クラムの描く線への想像力となっていたように、『ゴーストワールド』においても、イーニドのスケッチブックが持つ想像力は重要な要素になっている。むしろテリー・ツワイゴフのすべての作品は、スクラップブックの想像力によって成立しているといってもいい。無類のレコードコレクターであり骨董品に囲まれたシーモアの部屋はいうまでもなく、美術の授業風景に広がるガラクタのような作品の数々。イーニドのスケッチブックにはシーモアとの出会いがコミックブックのような絵柄でスケッチされている。テリー・ツワイゴフの作る映画自体が、スクラップブックという名の宝箱を広げたような映画だといえよう。
イーニドはシーモアの部屋で黒人のシェフが描かれた絵画を見つける。1920年~50年代まで実際にあったレストランチェーン「クーン・チキン・イン」の看板を、ロバート・クラムが本編のために模写していたものだ。イーニドはこの絵画を美術の補習授業に「作品」として提出する。敢えて差別的なものを提示することで、ギャラリーに差別への問題意識を持ってもらうために。「クーン・チキン・イン」が「クック・チキン」に名称を変えるまでの資料が貼られたシーモアのスクラップブックを、イーニドがめくりながら交わすダイアローグが興味深い。
「昔の方が世の中はよかったってこと?差別があっても?」
「今の方がいいけど、、、難しい問題だ。差別を隠すのが上手くなったのかもしれない」
シーモアの「クーン・チキン・イン」に関するスクラップブックは、ページをめくるごとに差別の要素がなくなっていく歴史の資料だった。一方、イーニドのスケッチブックには、シーモアとの出会いからの物語が描かれている。当初、バカにされていたシーモアが、イーニドの手によって、ページをめくるごとに美しく描かれていく。イーニドはシーモアに告げる。「あなたは私のヒーロー」。
真に社会からの疎外を感じながら生きるということ。そのために他人からの屈辱を受け入れ、受け流すような、本来なら必要のない術でコミュニケーションを取らなければならない全ての人たちに、『ゴーストワールド』は捧げられている。
疎外感は決して十代だけの特別なものではないこと。そして現代を生きる人々は、他人に差別や疎外を感じさせないよう隠すのが上手くなっただけで、根本の問題は現在も隠されたままなのかもしれない、という問い。『ゴーストワールド』は、キレイに見える世界の、その裏に押し殺されてしまった人々の感情を掬いあげる。
永遠に来ないバスを待ち続ける老人。イーニドは彼の姿を見ると安心するという。いつもそこに居てくれるから。ここではないどこかに、ある日突然いなくなってしまうことを望むイーニド。イーニドもまた、バスを待つことになる。
イーニドが示した反抗や連帯は、これからも多くの人の心に響き続けるだろう。イーニドの実存は、スクラップブック=『ゴーストワールド』という作品の中に消えていく。そのスクラップブックには、理解のできない歌ではしゃぐ、反抗的な少女の肖像が描かれているはずだ。
映画批評。ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
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