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『シャン・チー/テン・リングスの伝説』MCUの新天地、中華武侠ファンタジーが示す「ふたつの原点回帰」

©Marvel Studios 2021

『シャン・チー/テン・リングスの伝説』MCUの新天地、中華武侠ファンタジーが示す「ふたつの原点回帰」

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ステレオタイプの克服、シャン・チーの「原点回帰」



 あらゆるオリジン・ストーリーが描かれてきたMCUだが、『シャン・チー』の構成はややトリッキーだ。ホテルマンとして働くシャン・チーが父親と対峙する物語と、かつての一家を襲った事件をめぐる顛末が行き来しながら進行するのである。その出発点、シャン・チーという主人公の現在地を示すうえで役立てられているのが音楽だ。


 やはり映画の序盤において、シャン・チーがケイティとカラオケに行く場面がある。これまたアメリカにおける“アジア系文化”の表象のひとつと言えるが、この場所で二人が歌うのは『アラジン』(92)の名曲「A Whole New World」、Lil Nas X(リル・ナズ・X)のヒット曲「Old Town Road」、そして『アルマゲドン』(98)の主題歌として知られるエアロスミスの「I Don’t Wanna Miss A Thing」など。ここからは、二人がアメリカのポップカルチャーにどっぷりと浸かっていること、アメリカの地でアジア人・アジア系としての日常を送っていることがわかる。


 しかしその直後、シャン・チーの父親・ウェンウーが二人の前に立ちはだかる。言い換えれば、シャン・チーが封印していたはずの過去が押し寄せてくるのだ。ここからシャン・チーは、自分が親しんでいた文化圏を離れ、自らのルーツに回帰する旅に出る。一方でウェンウーの狙いは、若くして命を落とした妻を、テン・リングスの力を借りて取り戻し、家族を再びまとめることにあった。この“過去を捨てた息子、過去を引きずる父親”という対照に加えて、シャン・チーが姿を消したころから家族を諦めた妹・シャーリンの存在が絡んでくる。



『シャン・チー/テン・リングスの伝説』©Marvel Studios 2021


 デスティン・ダニエル・クレットンというフィルムメーカーの作家性は、このような「出自とアイデンティティ」「過去との対峙」「喪失と回復」といったテーマの面で顕著に表れている。クレットン監督による『ショート・ターム』(13)『ガラスの城の約束』(17)は、ともに両親や家族との問題を抱えた子どもたちの物語であり、『ヒップスター』(12)は、母親の死を受け止められない歌手と家族の物語だったのだ。


 先述したように、シャン・チーの映画化にあたっては、ステレオタイプを回避したヒーロー映画を作るというミッションがあった。それもそのはず、コミックのシャン・チーには人種表現の描写に危うさがあったのだ。そこでクレットン監督はステレオタイプの克服をミッションとして、アジア文化の表象にとどまらず、シャン・チーが自分のルーツに回帰するという物語に注力したのである。それに付随するかのように、周囲の人物も自らのルーツや過去と向き合うことになった。


 たとえば父親のウェンウーは、コミックのフー・マンチューに代わり、映画独自のキャラクターとして生み出されたもの。監督はトニー・レオンを起用し、人間としての奥行きがある人物を目指した。もともと、トニーに出演を承諾してもらうべく設定をとことん練り上げたという監督は「“ヴィラン”というくくり方がそもそもステレオタイプだ」とも述べている。秘密主義で知られるMCU作品である、トニーは脚本を読むことはできなかったが、クレットン監督を信頼して出演を決めた。そして演じたウェンウー像は、トニーの代表作『恋する惑星』(94)『花様年華』(00)の青年がそのまま歳を重ねたような雰囲気さえある、失われた愛を乗り越えられない男。犯罪組織の長というよりも、父親/男性としての表情を中心に演じることで、ストーリーにさらなる厚みをもたらした。


 そして驚くべきは、クレットン監督が一連のテーマに物語を絞りながら、あくまでもジャンル映画としての達成を目指したところにある。最後は、ジャンル映画としての『シャン・チー』、そしてMCU作品としての『シャン・チー』に注目してみたい。





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