2021.09.07
ジャンルの混合、そしてMCUの「原点回帰」
たとえば『キャプテン・アメリカ』はポリティカル・スリラー、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』はスペースオペラ、『スパイダーマン』は青春、『アントマン』は強盗、『ドクター・ストレンジ』はホラー。従来のMCUはヒーロー映画に別のジャンルを掛け合わせることを得意としており、もちろん『シャン・チー』もその例外ではない。
本稿の前半で触れたように、本作はカンフー映画に大きな敬意を払っている。しかし後半には作品のテイストが一変し、物語も思わぬ展開を迎えるのだ。そこでキーワードとなるのが、前述した“中国神話”である。すなわち、楽しくも手に汗握るカンフー・アクションから、神話的想像力が翼を広げる武侠ファンタジーへ。前半はスパイダーマンに近いストリート・ヒーローだったシャン・チーが、物語が進むにつれてソーに近づいていくのだ。この変遷も、長年にわたるMCUのストーリーテリングの成熟を感じさせて興味深い。
むろん、作り手はこうした企みをすべて意図的に仕掛けている。劇中にポスターがさりげなく登場するように、本作にはチャウ・シンチー監督『カンフーハッスル』(04)の影響も色濃く、シンチーと縁の深いツイ・ハークの作品を思わせるテイストも強まってくる。テン・リングスに『少林寺三十六房』を参照したクレットン監督は、作品の後半部でも中国・香港映画史に敬意を表し、その流儀をある程度守ることによって、アジアの表現に対するステレオタイプを(時にすれすれで)回避しながら、“新しい”武侠映画の形を探っているのだ。同時に、本作が最終的にたどり着くところは、これまでのMCUからは想像もできなかったような地点である。
『シャン・チー/テン・リングスの伝説』©Marvel Studios 2021
カンフー映画であり、武侠映画であり、ファンタジー映画であり、アジア文化の表象を巧みに取り込み、MCUの世界観に接続しつつも新しい地点に到達する……。本作でクレットン監督は、なにやら形容しがたい仕事をやり遂げてしまったようだ。以前、監督は「アジア文化は本当に多様なもの。僕はハワイで生まれ育ったけれど、ハワイ料理は中国・日本・韓国・ハワイ・フィリピンの食文化が混ざっている。今回のチームもそういう感じ」と述べていたが、これは製作チームのみならず、この映画そのものを表すような言葉ではないか。本作に取り込まれた映画的記憶・文化的記憶を挙げはじめればきりがないほどだが、監督はそれらを器用に調理してみせている。
忘れてはならないのは、本作がMCUの起源にも非常に近い位置にあるということだ。ウェンウー率いる犯罪組織「テン・リングス」の存在によって、物語自体が『アイアンマン』(08)と繋がっているばかりか、マーベル・スタジオのケヴィン・ファイギ社長は、劇場公開前から「映画の最後には『アイアンマン』のラストに非常に近いことが起こる」と予告。映画を観た後ならば、きっとこの発言の意味がよく理解できることだろう。
つまり本作では、ふたつの「原点回帰」が起きていることになる。シャン・チーという新ヒーローが自らのルーツに回帰するとき、MCUもまた原点に回帰することになった。そしてシャン・チーが自分自身の道を見つけた時、MCUもまた新たな物語の道筋を発見したのである。世界観を再開拓した本作を経て、このユニバースはどこに向かっていくのか。ここから先、マーベル・スタジオの手腕が改めて問われることになるはずだ。
もっともマーベル側は、北欧神話の世界である『マイティ・ソー』(11)の製作時にも、『アイアンマン』『インクレディブル・ハルク』(08)との間に不整合が生じるリスクを承知していたという。『シャン・チー』という新天地を世に問うた今も、そのリスクと可能性は重々承知だろう。いずれにせよ『エンドゲーム』という区切りから2年を経て、いよいよ物語は再び大きく動き始めたのだ。
[参考資料]
・Simu Liu suits up in first look at Shang-Chi and the Legend of the Ten Rings
https://ew.com/movies/shang-chi-and-the-legend-of-the-ten-rings-simu-liu-first-look/
・'Shang-Chi' Is The Ultimate Relatable Superhero For Director Destin Daniel Cretton [Interview]
・Shang-Chi Has Major Ties to MCU Past And Future
https://comicbook.com/marvel/news/shang-chi-has-major-ties-to-mcu-past-and-future/
・Kenneth Branagh On ‘Murder On The Orient Express,’ ‘Dunkirk,’ And Why He Still Loves Thor
https://uproxx.com/movies/kenneth-branagh-on-murder-on-the-orient-express/
訂正:文中で「シャン・チー」を「シャン」と省略した表現がありましたが、全て「シャン・チー」と統一いたしました。
文:稲垣貴俊
ライター/編集/ドラマトゥルク。映画・ドラマ・コミック・演劇・美術など領域を横断して執筆活動を展開。映画『TENET テネット』『ジョーカー』など劇場用プログラム寄稿、ウェブメディア編集、展覧会図録編集、ラジオ出演ほか。主な舞台作品に、PARCOプロデュース『藪原検校』トライストーン・エンタテイメント『少女仮面』ドラマトゥルク、木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談―通し上演―』『三人吉三』『勧進帳』補綴助手、KUNIO『グリークス』文芸。
『シャン・チー/テン・リングスの伝説』を今すぐ予約する↓
『シャン・チー/テン・リングスの伝説』
9月3日(金)劇場公開
©Marvel Studios 2021