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『パワー・オブ・ザ・ドッグ』ジェーン・カンピオン、そして2020年代ならではの新たな西部劇

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『パワー・オブ・ザ・ドッグ』ジェーン・カンピオン、そして2020年代ならではの新たな西部劇

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『ブロークバック・マウンテン』との共通点~“男らしさ”の異なる定義



 今回の映画の製作にあたってカンピオンは、『ブロークバック・マウンテン』(05)の原作者、E・アニー・プルーがサヴェージの本(改訂版)ために書いた“あとがき”を参考文献として使ったという。プルーは主人公フィルのことを「アメリカ文学の流れにおいて、最も複雑で、悪辣な人物像」と呼んでいる。


 『ブロークバック・マウンテン』の方はプルーの短編小説の映画化で、マチズモの象徴であるふたりのカウボーイを主人公にして、彼らの内側の繊細な部分を切り取っていたが、今回の主人公フィルはさらに複雑な葛藤を抱えたカウボーイとして登場する。彼の内側には“せめぎあう”いくつかの側面がある。カリスマ的な彼は日常生活においてはマチズモ的な男らしさを押し出しているが、実は名門のイェール大学を優秀な成績で卒業していて、知的な教養を隠し持っている。バンジョーも得意で、ローズがピアノでうまく弾けないクラシックの曲も楽々と弦を通じて演奏できる。荒々しさだけではなく、知性も持っている人物だ。


 途中で知事が牧場を訪ねる場面があるが、その時、知事はフィルの弟ジョージに「君のお兄さんはギリシャ語かラテン語で牛たちを追い払うのかね」と冗談を言う。大学出身の教養人が泥にまみれたカウボーイである、という設定が斬新だ。また、フィルには、長年、隠し通してきた感情がある。かつて牧場には“ブロンコ・ヘンリー”という伝説のカウボーイがいて、フィルの牧童として生き方はすべて彼から教わった、という設定だが、この人物こそが物語のカギを握る重要な人物である。ブロンコはフィルにとって、友達以上の存在で、フィルは彼への思いを隠し続けて生きてきた。



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 このあたりは『ブロークバック・マウンテン』でヒース・レジャーが演じた人物をも思わせる。彼もかつての牧童仲間(ジェイク・ギレンホール)への思いをずっと胸に秘めながら生きていて、彼が生前、着ていたシャツをこっそり保管していた。フィルも故人となったブロンコの所有物をいつも服の下に隠し持っている。


 ただ、『ブロークバック・マウンテン』は切ないメロドロマとして作られていたが、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』には、見る人を最後にグサリと突き刺す毒がある。また、この映画には“男らしさ”に関するいくつかの印象的なセリフも登場する。


 フィルは(表面上は)昔ながらのマッチョな“男らしさ”に固執していて、色白で、ひ弱な雰囲気のピーターを本物のカウボーイに育てようと考え、彼に乗馬やうさぎの追い方を教える。そんなフィルは「男(a man)を強くするのは苦境と忍耐だ」とピーターに伝える。一方、そんなフィルに抑圧されるローズは彼を「ただの男(a man)で、他の男と同じ」と考えることで、なんとか、辛い日常生活をやりすごそうとする。


 一方、息子のピーターは冒頭のナレーションで語る――「もし、母を守れず、救えなければ、どんな男(a man)になればいいのだろう?」(字幕は「僕が母を守らなければ誰が守る」)。また、動物を部屋で解剖しないように母に注意された時は「母親の言うことをいつも聞いていたら、男(a man)としてはどうなのかね」と不満をもらす(字幕は「母の言いなりになると?」)。字幕は大意のみの訳になるが、原文を見ると“a man”を定義するセリフがいくつかあり、旧世代のフィルと新世代のピーターの“a man”に対する解釈の違いも見える。


 #ME TOO運動以後、女性の問題だけではなく、男らしさの定義も考えさせる時代になったが、このあたりはカンピオン監督も意識しながら脚色をしたようだ。「最近の#Me TOOの運動は私自身の決断にも影響を与えた。こうしたテーマを選んだ時、これまでとは異なる次元の展開を期待されると考えた」と監督は“The Guardian”でのインタビューでコメントしている。近年、”有害な男らしさ(toxic masculinity)“という言葉が海外の記事ではよく使われるようになったが、今回の映画が問いかける”男らしさ“の定義は、#ME TOO運動以後の現代だからこそ、よけいに考えさせるものがある。


 原作が発表された60年代後半には、公民権運動や性革命によって、従来の男女観が変わり始めた。原作者トーマス・サヴェージはゲイの作家で、この小説には自伝的な要素が入っているというが、時代を先取りしていたテーマだったからこそ、発表から50年以上が経過しても、映画にする意義があったのだろう。


 サヴェージの小説はフィルがオスの牛を去勢するエピソードから始まり、映画では中盤にこの場面が登場して、これまで1,500頭以上を去勢してきた、とフィルは言う。去勢(オスの部分を消してしまう)という行為の中にも、実は主人公の隠れた性癖が読み取れるのかもしれない。




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