1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. パワー・オブ・ザ・ドッグ
  4. 『パワー・オブ・ザ・ドッグ』ジェーン・カンピオン、そして2020年代ならではの新たな西部劇
『パワー・オブ・ザ・ドッグ』ジェーン・カンピオン、そして2020年代ならではの新たな西部劇

Netflix映画『パワー・オブ・ザ・ドッグ』独占配信中

『パワー・オブ・ザ・ドッグ』ジェーン・カンピオン、そして2020年代ならではの新たな西部劇

PAGES


カンピオンがこだわる“性的な力学”と解放のテーマ



 今回の映画は西部を舞台にした男の物語で、監督の代表作『ピアノ・レッスン』とはまるで異なる物語に見えながら、実は構図は似ている。『ピアノ・レッスン』で軸となっていたのは、主人公エイダ(ホリー・ハンター)と彼女の夫(サム・ニール)、彼女の恋人(ハーヴェイ・カイテル)、彼女の娘(アンナ・パキン)の4人の関係だった。


 エイダはスコットランドからニュージーランドに住む男のもとに嫁ぐが、やがて、近所に住むマオリ族の男と恋人関係になる。そして、娘は自分がのけ者にされた、と感じ、母親を裏切るような行動を取る。男ふたりと女ひとり、そして、その娘。この4人のスリリングな心の綱引きが映画の軸で、軸の真ん中にあったのは、男と女の激しい性的なパッションだった。


 この映画が公開された時、映画評論家の淀川長治氏は、女性の視点で性への渇望が描かれた稀有な作品、と語っていたが、こうした視点は当時としては画期的で、その生々しいエロスの表現にこそ、カンピオンという監督の資質が出ていた。


 今回の映画でも、男女4人の心の綱引きが描写される。それまで圧倒的なパワーを持っていたフィルは弟とローズの関係に嫉妬し、ローズを追いつめるが、一方、彼女の息子ピーターと奇妙な関係が生まれ、そのことが引き金となって、崩れていく。エロティック、かつロマンティックな情熱が、その関係の軸にあるという点は『ピアノ・レッスン』との共通点だ。



Netflix映画『パワー・オブ・ザ・ドッグ』独占配信中


 『ピアノ・レッスン』ではそれまで抑圧され、言葉を話すことも拒否していた主人公が、原始的なセックスアピールのある恋人との体の関係を通じて、精神も解放され、過去のトラウマを乗り越える。セックスが人間を解放するひとつの手段として描かれ、ふたりの秘密の情事は、とても官能的に描かれていた。


 『パワー・オブ・ザ・ドッグ』には、こうした肉体のからみは登場しないが、主人公を演じるベネディクト・カンバーバッチが全裸で水浴びをする場面が妙に生々しく、その白い肌の感触はマッチョなカウボーイのものとは思えないほど、繊細な雰囲気をたたえている。そして、彼の水浴びをピーターが覗き見る場面が、後のふたりの関係の伏線となる。後半、フィルとピーターは距離を縮めていく。かつて憧れのカウボーイ、ブロンコ・ヘンリーにピーターの年で出会ったフィルは、かつての自分を今のピーターに重ねて、彼を導こうとする。ふたりが古い納屋でブロンコへの思いを共有しながら、一緒にタバコを吸う場面には、どこか秘密めいたエロスの香りが漂う(『ピアノ・レッスン』の主人公と恋人の情事も、古い小屋で展開していた)。


 監督は製作にあたって、「何かにつき動かされるような感情が自分の中にわいてきて、エネルギーがあふれてきた。それが何かは考えず、感情のおもむくままに進もうと思った」と前述の“The Guardian ”のインタビューで答えているが、本能や感覚のパワーで進むような演出こそがカンピオン監督の神髄。官能的な描写にたけた監督なので、それがうまく生きる題材に出会えた時、本来の力を発揮できるのだろう。


 この映画の奥深いところは、マチズモを押し出していた主人公フィルを悪人として描いていないところだ。物語だけを追うと、弟やその妻を抑圧していたフィルが崩れることで、牧場に平和が訪れる。彼らはフィルという過去志向で抑圧を強いる人物から最後は“解放”されるからだ。


 ただ、すごく皮肉だが、本当の意味で“解放”されたのは、実は彼らを抑圧していたはずのフィル本人ではないだろうか? 男らしさの神話にとりつかれていた人物が、青年との時間によって、自分の弱さをさらけ出し、失っていたはずの性的な情熱も取り戻す。ただ、それは死と隣り合わせとなっていて、残酷な愛の物語として最後は幕を閉じる。このあたりのデリケートな描写にこそ、監督の実力が発揮される。


 コミュニティの中での抑圧された人物たちの解放というテーマは、過去のカンピオンの作品でも描かれてきた。『ピアノ・レッスン』はニュージーランドの小さなコミュニティの中で自分のアイデンティティを見つけていく女性の物語だし、初期の代表作『エンジェル・アット・マイ・テーブル』(90)では精神を病んでいた主人公が、作家になることで自分を解放する過程が描かれていた。『ある貴婦人の肖像』(96)は不幸な結婚生活がテーマで、エゴイスティックな夫の抑圧に耐え切れなくなった女性が、病気の従弟との関係を通じて本当の自分らしさを発見する。人間の“性の力学”と解放というテーマを好む監督なのだろう。




PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. パワー・オブ・ザ・ドッグ
  4. 『パワー・オブ・ザ・ドッグ』ジェーン・カンピオン、そして2020年代ならではの新たな西部劇