フォードやキャプラに通じるテーマ
この作品で特筆すべきは、ベンの特殊なパーソナリティをファレリーが全面的に肯定して描き切っていることだろう。映画の終盤、何事にもレッドソックスを優先するベンとの将来が不安になり、心を閉ざしてしまったリンジーに対して、ベンは少年のように純粋な姿をさらけ出す。「何も知らない7歳の時に野球の虜になったよ。でも今は君のほうが大事だ」。ベンにとってレッドソックスは、生きていくうえで心の支えであり大切な存在だったのだ。
ファレリー映画には、社会的な不具合やバランス的な偏りを抱えているキャラクターが数多く登場する。心身に障害をもつ者、人種的・思想的マイノリティ、コンプレックスの塊、詐欺師、嘘つき、等々…、一筋縄ではいかないのがファレリー映画のキャラクターだ。そんな彼らをファレリーは特別扱いしない。ハンデキャップや属性以前に、彼らを一人の人間として受け入れフラットに描く。そして誰もが平等に、過激なギャグの餌食になる。「普通の人なんてこの世にいない。人は誰しも何かしらの凸凹を抱えた存在で、それはその人の唯一無二の個性なんだ」。その達観した人間観と眼差しの優しさこそ、ファレリーの持って生まれた作家性なのだろう。
『2番目のキス』(c)Photofest / Getty Images
マイノリティへの優しい眼差しと、意図した楽観性。彼らの作風は、かつて移民たちの姿を詩情豊かに描いたジョン・フォードや、名も無く貧しい市井の人々をユーモアとヒューマニズムをもって描いたフランク・キャプラの流れにあるものだ。どんなに際どいテーマを扱っていても、ファレリーに賛同し支持する人が多いのは、そのあたりに起因しているのかもしれない。