”描かないこと”によって浮かび上がる特殊な構造
これが長編デビューとなる監督のクリストス・ニクは、このミニマリスティックな物語にどんな思いを込めたのだろう。
言葉を尽くして本作の構造を説明すると、ネタバレに踏み込む恐れがあるので気を付けたいところなのだが、安全域内で一つの手がかりとして有効なのは「何が描かれていないか」を確かめることにある。引き算的な手法の多い本作において、これらは「想像力を働かせよ」との目配せでもあるように思えるからだ。
一つ目に挙げられるのは、本作のテーマともいうべき”記憶”。医師の診断によると、主人公は自身に関する記憶をすっかり失ってしまっていて完治するのは難しいという。そのため我々には、彼が一体何者でどんな人生を歩んできたのか、全くもって素性がわからない。
『林檎とポラロイド』©2020 Boo Productions and Lava Films
二つ目のなかなか見えてこないもの。それは主人公の”感情”だ。彼は冒頭から壁に頭を打ち付けて拍子を取るなど、我々にとって理解しがたい行動をとる。それでいて言葉での説明は全くなく、言うなればサイレント映画の主人公のよう。悲しいのか、楽しいのか、恋をしているのか、それともただ無気力なだけなのか。我々には一向にわからない。
さらに”新しい自分”プログラムが始まると、感情はなおのこと読み取りづらくなる。というのも、与えられたミッションはどんどん不可解で複雑な内容になるばかりで、それを真顔で淡々とこなす主人公の感情との間に、シュールなほどの乖離が進むからだ。
こうやって感情と繋がることなく集積されたポラロイド写真たちは、彼にとっての”記録”であったとしても、果たして”記憶”と呼べるものだろうか---。この映画は観る者にそんな素朴な疑問すら沸き起こさせる。