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飄々とおかしくて哀しい『林檎とポラロイド』が浮き彫りにする、人の感情と記憶

©2020 Boo Productions and Lava Films

飄々とおかしくて哀しい『林檎とポラロイド』が浮き彫りにする、人の感情と記憶

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なぜテクノロジーは描かれなかったか



 それから、もうひとつだけ顕著なものがある。それは"デジタル機器"の不在である。


 本作ではまるで時代が逆行したかのように、テクノロジーと呼ぶべきものが全く登場しない。そのためスマートフォンで連絡を取り合う描写もなければ、インターネットで何かを調べることもしない。カメラだってデジカメではなくポラロイドが用いられ、撮影した写真は一枚一枚、アナログなアルバムに貼って保管する決まりとなっている。


 ニク監督は本作の創作意図の一つとして次のように述べている。「私は、感情が記憶にどのように影響を与えるのか、そして昨今の記憶が、情報を記録し蓄積することを非常に簡単にしているテクノロジーによって、どのように影響を受けているかを探ってみたいと思いました」



『林檎とポラロイド』©2020 Boo Productions and Lava Films


 一般的な作り手は、テクノロジーについて探りたいと思ったなら、まずはそれを直接的に描こうとするだろう。しかしニク監督はそうはしなかった。むしろ描かないことによって、昔から変わらぬ最も根源的かつシンプルな”記憶の方程式”を抽出し、見つめようとしているかのようだ。


 するとどうだろう。このように引き算的な発想が貫かれた作品ゆえ、我々は余白の多い作品世界に様々な要素を投影することが可能となる。例えば、本作における記憶喪失というものが、デバイス上のデータをすっかり失った状態と重なって見えたり、はたまたアルバムに貼られたポラロイド写真がSNSの画像投稿のように思えたりと、かえって現代のテクノロジー社会と強くリンクする部分を数多く見出さずにいられなくなるのである。


 寓話的といってしまえばそれまでだが、観る者の想像力をナチュラルに刺激し、滑らかな思考を促すこの構造は、実に緻密で見事というほかない。




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