トランブルの参加
『The George Dunlap Tape』のプロデューサーだったジョエル・フリードマンは、ルービン抜きでプロジェクトを進める決意をした。そこで新たなスタッフ編成をすべく、VFX担当者候補としてトランブルを訪ねて行く。
当時トランブルは、スピルバーグ監督の『未知との遭遇』(77)(*6)のVFXスーパーバイザーとして作業中だった。彼は、他人の監督作品のVFXだけを手掛ける仕事にウンザリしており、そのため『スター・ウォーズ』の依頼も断っていた。
フリードマンはトランブルに、『The George Dunlap Tape』の脚本を見せる。トランブルは、かなり手直しが必要だと感じたが、ショースキャンを用いるのに最適の題材だと判断し、「この映画を監督したい」と申し出た。だがフリードマンは、あくまで監督は他の有名人を考えており、「君にはVFXだけを担当して欲しい」という態度を譲らなかった。トランブルは「この脚本を権利ごと買い取りたい」と食い下がったが、フリードマンは拒否し、この時点での交渉は物別れに終わる。
だがフリードマンは、完成した『未知との遭遇』の出来に感激し、即トランブルに連絡をよこす。彼は「トランブルこそ、この映画の監督に相応しい」と判断し、FGCの親会社であるパラマウントと契約を結んだ。パラマウント側も、ショースキャンを披露できる劇映画を望んでおり、この企画はうってつけだった。
*6 トランブルが『未知との遭遇』のVFXをOKした理由は曖昧だが、元々彼はかなりのUFOオタクであり、69年にカリフォルニア州ジャイアントロックで開催されたフライングソーサー・コンベンションへ参加した経験を持っている。また晩年は莫大な私財を投じ、軍用車両のハンヴィーに自動追尾式望遠鏡を搭載して、UFOハンティングを続けていた。