新技術を模索したトランブル
本作で製作・監督を務めたトランブルは、英国で『2001年宇宙の旅』(68)でVFX(*1)スーパーバイザーを務め、アメリカに帰国後、トランブル・フィルム・エフェクツ社を設立し、企業ロゴやCM、そして長編映画『キャンディ』(70)などの視覚効果を手掛ける。しかし次の『アンドロメダ…』(71)を終えるころ、もう他人の下で働くことに嫌気を感じていた。
そこで、初監督作としてアポロ計画捏造説を基にしたコメディを制作するが、公開を見送って記録も一切残さなかった。これは、彼がまだ駆出しのころ、勤めていたグラフィック・フィルム社で、数多くのNASAのPR映画に参加しており「これはNASAに対する侮辱だ」と思い始めたためだ。
一方『アンドロメダ…』を製作したユニバーサル・ピクチャーズは、『アンドロメダ…』での貢献を認めて、彼の“初”監督企画(アポロ捏造説の映画は無かったことにした)にGOを出す。トランブルは、プロデューサーのマイケル・グラスコフと共に、宇宙を舞台とするSF映画『サイレント・ランニング』(72)を手掛けた。そしてこの時に、VFXの担当者としてトランブル本人の他、スチルカメラマンの経験があるジョン・ダイクストラと、『2001年…』でマットペインターを務めていたリチャード・ユーリシッチ(*2)を新たに雇う。
『サイレント・ランニング』の終了後、ダイクストラは『スター・ウォーズ』(77)に参加するため独立したが、ユーリシッチはトランブルのオフィスに残る。そして2人で、新たな映像システムを開発すべく、繰り返し実験を重ねた。なかなか成果が上がらない中で、74年に効果的なアイデアが見つかった。それは撮影・映写速度を、従来の24fps(毎秒24フレーム)から60fpsに上げるという、今で言うハイフレームレート(HFR)(*3)映像の発明だった。
同時にフィルムサイズも、Todd-AOやスーパーパナビジョン70と同様の65/70mm 5P(パーフォレーション)(*4)にすることで、画面の精細度も上げられる。彼らは、これを「ショースキャン」(SHOWSCAN)と名付け、75年にパラマウントの幹部たちを集めて劇場でデモを行った。そして、パラマウント社長のフランク・ヤブランズが大いに気に入り、ショースキャン実用化のための研究施設フューチャー・ジェネラル・コーポレーション(以下FGC)を設立させる。
*1 正確に言うと、当時はスペシャル・フォトグラフィック・エフェクトと表記されていた。VFXと意味は同じ(撮影済みの映像を二次的に処理する特殊効果)なので、今回はこう書く。
*2 リチャード・ユーリシッチは、『ベン・ハー』(59)などのマットペインターとして有名なマシュー・ユーリシッチの弟。高校卒業後にアニメーション会社に入社して、オプチカル合成などの技術を学ぶ。その後『2001年…』を経て、CMや劇場アニメのカメラ助手を務めていた。
*3 フィルム式の映画カメラに用いられるロータリーシャッターは、半円形の2枚の板を重ねたものを機械的に回転させている。この2枚の成す角度によって開口部の面積が変化し、開角度を狭くすればスチルカメラのシャッタースピードを速くしたように、動く被写体もシャープに撮れる。しかしこれを映写して見た場合、速く動く腕などが複数本に見えるストロビングという現象が発生したり、ジャダーと呼ばれるギクシャクした動きが生じてしまう。逆に開角度を広くすれば動きは滑らかになるものの、今度はモーションブラーという被写体ブレが目立つようになり、画面のシャープさが失われてしまう。こういった問題は、フレームレートを24fpsよりも増やしていけば解決する。ショースキャンが開発される前にも、26fps(シネラマ、シネミラクル)や30fps(初期のTodd-AO)などは存在していたが、人間がフリッカーを一切感じなくなる臨界融合周波数を超えた60fpsを採用したことで、劇的な効果が実現できた。だが反面、「セットが作り物にしか見えない」「メイクが不自然に感じられる」など、過剰なリアリティが映画らしい雰囲気を邪魔するようになってしまい、生の舞台公演を近距離で観ているような、落ち着かない画面になってしまった。
*4 パーフォレーションとは、フィルムのサイドに空けられた送り穴のこと。この数が多いほど、1フレームあたりの面積が広くなり、画面の精細度が増す。ちなみに65mmとはネガフィルムの幅を意味し、これをプリントする際に、サウンドトラック分の5mmが追加されて70mm幅となる。