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『17歳のカルテ』永遠を生きるウィノナ・ライダーの自画像 ※注!ネタバレ含みます。

(c)Photofest / Getty Images

『17歳のカルテ』永遠を生きるウィノナ・ライダーの自画像 ※注!ネタバレ含みます。

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正常の基準



 「わたしたちのパラレル・ワールドでは、前にいた世界ではまだ起こっていないことが起こった。外の世界でやっと現実になるころには、目の前で似たようなことが起こるのをすでに見ていたから、慣れっこになっていた」(「思春期病棟の少女たち」)


 スザンナの痛みの原因は分からない。誰のせいにもできない痛み。何年経っても分かることのなかった痛み。スザンナは秘密を持っているわけではない。アスピリンとウォッカの大量摂取により自殺未遂を図った女性として、彼女は境界性人格障害の診断を下されている。「自分を壊したがっている子供」。しかし彼女は本当に病気なのか?


 スザンナの回復プロセスの矛盾を象徴するような台詞がある。面談の際、相談員の女性に人生の長期的な目標を質問されたスザンナは「作家になりたい」と答える。入院するときも退院するときも彼女は面談で同じようにそう答える。異常と診断されたときも正常と診断されたときも、彼女の目標は変わっていない。世の中を疑いの目で見ていく反抗的な知性も何一つ変わっていない。


 精神病院での体験は、リサをはじめとする仲間たちへの共感だけをスザンナの人生に加えていく。しかし彼女は最初から共感していたことに気付いていなかっただけなのだろう。どうしようもなくリサに惹かれてしまう気持ちに彼女が気付けなかったように。このことは心を欲しがっていた『オズの魔法使』のブリキ男のエピソードと符合している。ブリキ男もまた、既に心が自分に備わっていることに気付いていなかっただけなのだ(心を求めるその思い自体が、既に心を持っている証拠といえる)。



 『17歳のカルテ』(c)Photofest / Getty Images


 リサは彼女たちの痛みへの共感を少しずつ言語化できるようになっていく。スザンナの回復は、言葉を発見していくプロセスの中にある。いかにして彼女は言葉を発見したのか。『17歳のカルテ』は、スザンナ・ケイセンという「作家の誕生」のプロセスを描いた作品でもある。


 「分かってあげられない。でも死にたい気持ちは分かる。笑顔の苦しさや、うまくやれないつらさ。心の痛みを消すために体を傷つける気持ち」


 スザンナの恋人トビー(ジャレット・レト)は施設を訪れ、スザンナが病気ではないことを告げる。トビーは「正常」の基準なんてないと言う。なぜなら「正常」の基準は時代と共に変わっていくものだから。トビーは戦争に行くことが決まっており、テレビのニュースはキング牧師が銃弾に倒れたことを伝えている。人々はアメリカの社会不安に絶望しかけている。リサはフロリダに建設中のディズニーワールドのニュース映像を夜中に見ている。顔に火傷を負っているポリーは自分にキスをしてくれる人がいないことを嘆き、騒ぎの末、隔離されてしまう。


 おもむろにギターを手に取ったスザンナは、リサと共にペトゥラ・クラークのヒット曲「恋のダウンタウン」を歌い、扉越しにポリーを慰める。夜中の病院の廊下に響き渡る彼女たちの歌声。歌声のつたなさが感動を呼ぶこのシーンでは、精神病棟の方が外の狂った世界に比べ、むしろ何かに守られた安全な世界のように思えてくる。





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