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『ソー:ラブ&サンダー』人間ドラマの名手タイカ・ワイティティがコメディで挑む抵抗の狼煙

(c)Marvel Studios 2022

『ソー:ラブ&サンダー』人間ドラマの名手タイカ・ワイティティがコメディで挑む抵抗の狼煙

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人間ドラマを描く作家、タイカ・ワイティティ



 前作『マイティ・ソー バトルロイヤル』が観客や作り手に与えた衝撃は大きかった。タイカは従来のソー像を大きく刷新し、一時はソー役を演じるモチベーションを失っていたというクリス・ヘムズワースに再び活力を与えたほか、即興演出を重んじる演出スタイルと、物語の核心を丁寧につかみ取る隙のなさで、オフビートなSFコメディとして『マイティ・ソー』シリーズの革命を成し遂げたのである。


 今回の『ソー:ラブ&サンダー』で、タイカは前作のテイストを(意図的に)継承した。いまや映画ファンの間でも“タイカ・ワイティティ節”として認知されるユーモアは前作以上に強調され、ナンセンスな笑いや小ネタも惜しみなく投入されている。これをサービス精神と取るか自己模倣と取るかはさておき、タイカはカラフルなビジュアルと過剰なほどのユーモアの中、『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』(13)以来の復帰となるジェーン・フォスター(ナタリー・ポートマン)とソーの恋愛や、ふたりとゴアの戦いに焦点を当てたのだ。


 しかし物語が後半に近づくほどあらわになることだが、本作はそれらのユーモアでも抑えきれないほど極めてパーソナル、かつナイーブな主題をはらんでいる。もちろん本稿で多くを語ることはしないが、これは切ないラブストーリーであり、MCUを通じてソーが経験してきた“喪失”についての物語だ。



『ソー:ラブ&サンダー』(c)Marvel Studios 2022


 そもそもタイカ・ワイティティという人物は、キャリアの初期において、ヒューマンドラマを丁寧に描き出しながら、そこにユーモアのスパイスをふりかけるのが巧みな映画作家だった。短編映画『夜の車/トゥー・カーズ、ワン・ナイト』(04)は、たまたま駐車場で出会った少年少女たちが、大人の帰りを待つ短い時間にほんの少しだけ心を通い合わせる初恋の物語。長編デビュー作『イーグルVSシャーク』(07)は変人の男女ふたりが織りなすロマンティック・コメディでありつつ、家族のトラウマや承認をめぐる物語で、“心のつながり”に重きを置いた。続く『ボーイ』(10)は不在の父親が帰ってきたことから少年と兄弟に変化が起こる思春期映画で、少年の成長やトラウマの克服、男らしさの解体というテーマに真正面から向き合っている。


 こうした路線は、高く評価された『ハント・フォー・ザ・ワイルダーピープル』(16)でひとつの到達を見た後、『ボーイ』の変奏ともいうべき戦争映画『ジョジョ・ラビット』(19)に繋がった。シュールなオフビート・コメディとしての要素が比較的強い『シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア』(14)は、むしろ共同監督・脚本を務めたジェマイン・クレメントの作風が出たもの。こうして見ると、『マイティ・ソー』シリーズにおけるコメディ路線のほうがタイカのフィルモグラフィーでは異色であることがわかる。


 この見立てが正しいのなら、なぜタイカはマーベル映画を手がける時に最もコメディへの傾倒が強くなるのだろうか? スーパーヒーローや神話という虚構性の高い題材を扱うための仕掛けなのか、それとも……。もちろん真相はわからないが、少なくとも本作に限っては、これはタイカなりの“照れ隠し”なのだとも思われる。前述の通り、『ソー:ラブ&サンダー』はパーソナル&ナイーブな物語であり、同時に、見ようによっては『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(14)に匹敵するほどストレートに政治的な作品だからだ。





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