2022.07.20
視点が次々と入れ替わる三幕劇
ここからは、具体的に『引き裂かれたカーテン』の内容について語っていこう。
本作は、大まかに三幕から構成されている。第一幕では東ドイツに亡命するまでを、主にサラの視点で描く。愛するマイケルは、なぜ祖国を捨てて共産主義側へと亡命したのか?彼は本当に売国奴なのか?婚約者に対する疑惑の眼差しは、「愛する夫が自分を殺そうとしているのでは」と猜疑心にさいなまれる妻の視点で描く『断崖』(41)と、同趣の構造と言っていいだろう。
そして第二幕では一転して、マイケルの視点から描かれる。実は彼はアメリカのスパイで、原子物理学の権威リント博士から、核兵器ガンマ5の開発に必要な数式を盗み出すミッションを託されていた。彼の正体が露見するかどうかのサスペンスは、ナチス残党の情報を突き止めるために、女性スパイがその首謀者と偽装結婚する『汚名』(46)と同じような緊張感に満ちている。
そして第三幕は、マイケルとサラが東ベルリンを脱出するまでの逃走劇。特定の登場人物の視点で描くことはせず、『逃走迷路』(42)や『北北西に進路を取れ』のような正攻法で、サスペンスを積み上げていく。『引き裂かれたカーテン』一本の中に、異なる3つのタッチが詰め込まれているのだ。本作は、これまでのヒッチコック映画の集大成的作品とも言えるだろう。
『引き裂かれたカーテン』(c)Photofest / Getty Images
偽装バスでの逃走、オペラ劇場からの脱出など見所が多い本作だが、その中でも白眉はやはりグロメク殺害シーンだろう。西側のスパイであることを見破られ、マイケルは監視役のグロメクに飛びかかり、秘密機関に所属する女性が彼を包丁で刺す。さらにスコップで足をメッタ打ちにし、最後はガス栓を開いた状態のオーブンにグロメクを引き摺り込む。「外にタクシー運転手がいる」ことで音を立てることができないサスペンス状況を作りつつ、非常にリアリティのある、生々しい殺害シーンとなっている。
「この長い殺しのシーンでも、まず、これまでの映画で使い古されたパターンとはまったく逆のことをやろうと思った。ふつう、どんな映画でも、殺しのシーンはすばやくかたづけられるものだ。(中略)わたしは、人間を殺すのがどんなにむずかしく、どんなにたいへんで、どんなに時間がかかるものなのかということを描こうと思ったわけだ」(*)
この「使い古されたパターンは決してやらない精神」こそ、ヒッチコックの真骨頂。彼は『北北西に進路を取れ』で、「暗い夜の十字路で敵に襲われる」というありがちな手法ではなく、「真昼間のだだっ広い平原で飛行機に襲われる」というトンデモ設定で我々観客の度肝を抜いたが、同趣のチャレンジ・スピリットが本作にも息づいている。