コロナ禍を経て際立つ「触れたい」渇望
「土地を悼む」テーマと呼応するのが、劇中で何気なく発される「さみしい場所が増えた」というセリフ。現実問題として、日本各地に後戸が発生してもおかしくないであろう場所は増えつつあるのではないか。そしてそれを引き起こした要因の一つが、『すずめの戸締まり』の物語にも影響を及ぼしたであろう「コロナ禍」である。
前述のメディア試写会の場で新海監督は「2020年の1月ころから(本格的に)企画を考え始めた」と語っていた。そして企画書の完成は、同年の春。コロナ禍において人々の精神に与えたショックが最も強かったといってもいい、第1次緊急事態宣言に伴う外出自粛のタイミングとも合致する。町から人々が消えてゴーストタウン化し、閉じこもるなかで孤独感が募っていたあの頃のムードが、『すずめの戸締まり』には随所に感じられる。
『すずめの戸締まり』(C)2022「すずめの戸締まり」製作委員会
ある状況に見舞われた草太が閉じ込められるシーンや、扉の向こうにある常世へ行けない描写は直接的にコロナ禍を想起させ、すずめと草太が全国を回り、その土地の人々と交流する物語がエモーショナルに見えるのは「外に出られない」状況を経験したことも大きいだろう。また、劇中で際立つのは「触れる」という行為だ。後戸を閉める旅のなかで出会った人々と、すずめは別れ際にハグをする。コロナ以前であれば特に引っかからないシーンかもしれないが、演出の仕方や登場回数から見るに、これは意識的なものであろう。
草太が椅子になったことで「触れる」行為が容易になる(椅子の上に座る、立つ等)描写も見られ、ここでも「愛おしく思う存在に触れたいと思う」心理が働いているように見受けられる。すずめにとって、草太が椅子になったことで気軽に触れるものの、そこには「本物じゃない」という切なさもあって……という演出も上手い。コロナ禍によって制限されたこと、そこに伴う心境の変化や渇望が盛り込まれており、緊急地震速報等を使った地震に対する恐怖や電子マネーの普及、SNS等の描写と共に「いまの映画」感を形成している。