絶対悪ではないSHOCKERの存在
漫画「仮面ライダー」の中では、ショッカーは「選ばれた者のみを組織に加える」「他の無能なる人間どもは家畜のごとく意のまま動くことになる」という選民思想を持つ集団で、他者を隷属させようとする。本郷は敵である怪人たちに「改造されてしまった者」同士の共鳴を抱くこともあるが、そこの歩み寄りはあれど、各々の人生を変えてしまったショッカーは純粋悪の意味合いが強い。善と悪の立ち位置・描写がはっきり分かれているといえるだろう。
対して『シン・仮面ライダー』では、善悪の概念が曖昧だ。そもそもSHOCKERは他者の支配ではなく人類の幸福を目的に掲げた秘密結社であり、「Sustainable Happiness Organization with Computational Knowledge Embedded Remodeling」の頭文字をとって「SHOCKER」と呼ばれている。善悪二元論で考えるならば、善なる存在なのだ。人間にオーグメンテーションを施すのも、元々はより良き未来を作るための技術だった。
ではなぜSHOCKERが他者を攻撃する“悪”の方向に流れたかというと、そこにはAI(人工知能)が絡んでいる。「人類の幸福とは?」という演題を与えられたAIが導き出した答えは、最大多数の最大幸福ではなく「最も深い絶望を抱いた人間が救済される」ことだった。その結果、SHOCKERは壮絶な宿命を背負ってしまった者たちが幸福を追求する組織に変わっていったのだ。
絶望からの救済――マイナスからプラスへの上昇の度合いが重要視される以上、その思想は二の次になる。結果、他者を支配したり攻撃することで幸福を感じる人物たちが増えてしまったのだ。人類の幸福を追求したはずが、結果的に一部の人間のみの利益になってしまっている……。その流れを危険視した緑川(塚本晋也)と娘・ルリ子は本郷を伴ってSHOCKERから“足抜け”し、組織に反旗を翻す。
ただ、SHOCKERの構成員たちもみんながみんな根っからの悪というわけではなく、前述したとおり様々な理由からそう“なってしまった”と考えると、本作における善悪の境界は非常に曖昧だ。本郷自身、とある事件に巻き込まれたことで心に深い傷を負い、力を求めた経緯があり、『シン・仮面ライダー』はどこか被害者同士の争いのような悲壮感が漂っている。
善悪が融解した複雑性――。その要素を強めているのが、『シン・仮面ライダー』のメディアミックスである漫画「真の安らぎはこの世になく シン・仮面ライダー SHOCKER SIDE」(漫画脚本:山田胡瓜 作画:藤村緋二)だ。こちらはタイトルの通り、SHOCKER側、そして緑川家に何があったのかを解き明かす物語。通り魔に母を殺された緑川イチローが父と共にSHOCKERに入り、幸福とは何か?に悩みながら絶望の中を歩んでいく。こうした「敵側の事情」を描く作品を発表している点からも、『シン・仮面ライダー』が目指す方向性が見て取れるのではないか。