敵の死を「悼む」「弔う」描写の重要性
また特筆すべきは、「死を悼む」「弔う」描写だ。『シン・仮面ライダー』の劇中で本郷は一つの戦闘が終わるたび、奪ってしまった命を想い、黙祷をささげる。その姿を見たルリ子は「優しすぎる」と不安視するが、だからこそ本郷の“心”を信頼していく。
この部分は「ヒーローとは何か」という問いへの答えにもなっていて、たとえ正義であっても人の命をやすやすと奪うことは許されない行為であり、「ヒーローとは心の在り様だ」というメッセージにも映る。優しすぎる本郷は戦闘には不向きだが、そもそも戦闘をするからヒーローなのではなく、他者のために動けたり平和な社会を実現しようと取り組むからこそ英雄(ヒーロー)なのだ。そうした意味では、敵味方もれなく救おうとする本郷はどこまでもヒロイックな存在といえる。
同時に、敵への思慮深さは、どちらが正しいというわけではなく、あくまで異なる主張のぶつかり合いである――というスタンスにも呼応している。『シン・仮面ライダー』の劇中で本郷と相対するオーグメントたちは、それぞれに幸福論を掲げている。ただそれらは「食糧不足を解消する」「無益な争いを減らせる」ものだったとしても、特定の個人が他者を管理・支配する側面を持ち、ルリ子の言葉を借りるなら「その思想は危険」とされてしまう。こうした各々が信じる正義が衝突するさまが、『シン・仮面ライダー』の戦闘の根底には流れている。
前述の『僕のヒーローアカデミア』では「分かり合えないからヒーローとヴィランなんだ」という両者間の断絶(つまり、各々が自分らしく生きた結果ヒーローとヴィランに分かれる)や、「戦うことには変わりないとしても、せめてその人の心の奥底を(知らなければならない)」というコミュニケーションの必要性が描かれている。人ならざる者同士の戦い、そして弔いの描写という点では、『鬼滅の刃』にも通じるところがあろう。
こうした作品と同時代性を共有する『シン・仮面ライダー』。サイクロン号やオーグメントたちのデザインといったビジュアル面において現代のスタイリッシュな感覚が光るが、感性の面においても、“いま”を克明に描写している。