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『シン・仮面ライダー』が纏う現代性。善悪・暴力・動力へのまなざし

『シン・仮面ライダー』が纏う現代性。善悪・暴力・動力へのまなざし

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暴力による解決の是非を問う描写の数々



 「善悪」に付随するのが、2つ目のキーワードである「暴力」だ。「仮面ライダー」に対して『シン・仮面ライダー』の最大の特長ともいえるのが、暴力性の描写。姿かたちこそ違えど、人間が人間を暴力で止めることの残酷性が克明に描かれる。


 顕著なのは序盤の戦闘シーン。自分の身に何が起こったのかわからぬまま、SHOCKERの構成員との戦闘に巻き込まれた本郷は、身体が動くままに力を行使してしまう。その結果、構成員たちは顔を潰され、身体を引きちぎられ、血を大量に流しながら一人ずつ死んでいく。なかなかにショッキングなおどろおどろしいシーンだが、だからこそ明確な意図が含まれていると推察できる。


 それは、「暴力で解決するという意味では、善も悪も同じではないか?」という問いかけだ。本郷は過去に暴力によって大切な存在を失っており、守るための力を欲していた。だがいざ力を手にし、「ルリ子を守るため」という至極真っ当な理由の下に力を使ったとき、敵を殺してしまう。つまり、自らも命を奪う側になってしまったということ。仮面ライダーの戦闘手段は基本的にパンチやキックといった直接的な打撃であり、劇中では何度も本郷のグローブやブーツが血に染まる描写が挿入される。ただただ敵を倒してスッキリ解決!という作品とは、明らかに解像度が異なっているのだ。


 戦うことは、相手を屈服させることでもある。その暴力性は、『エヴァンゲリオン』シリーズ然り、庵野監督が繰り返し描いてきたテーマでもあろう。劇中では一貫して、暴力を忌避し、敵を説得しようとしたり時には逃亡したり、「戦う」以外の解決法を模索する本郷の姿が描かれる。暴力はあくまで手段であり、目的ではないということ。であれば相手を退ける力を持っていたとしても、使わずに済むならそれに越したことはない。


 実際、漫画でも本郷は「気の毒だが生かしておくわけにはいかない」と敵に宣言したり、「この不幸をなくすには『ショッカー』を根絶やしにするほかに方法はない」と自身に言い聞かせるようなセリフが目立つ。そうした人間性をより現代的な感覚で掘り下げたのが、『シン・仮面ライダー』という印象を受ける。


 本郷を演じた池松壮亮は、本作のインタビューで「いまだからこそ『仮面ライダーを人に戻す』ことが必要だと感じました。ヒーローだから戦わなければならない、みなを代表して暴力を行使しなければならないといった〝当たり前〟にストップをかけられる時だったのではないかなと思います」と語っていたが、この精神性は『シン・仮面ライダー』の核のひとつだ。




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