現代のヒーローものとの関連性
『シン・仮面ライダー』の本郷における「戦闘を避ける」描写はある時代においてはアンチヒーロー的だったかもしれないが、正義の名のもとに暴力を行使して解決することの是非を問う構造は、近年のヒーローものに顕著な特徴でもある。
たとえばヒーローもの×時代性の最先端ともいえる『僕のヒーローアカデミア』や『呪術廻戦』『チェンソーマン』といった週刊少年ジャンプの人気作品は、いずれも人助けが仕事として描かれている。つまり、暴力の行使が「仕事」という大義名分によって認可されるという解釈だ。
特に『僕のヒーローアカデミア』はこの辺りの設定が細かく、“個性”という特殊能力の行使が法で制限されていたり、個性をフルに使って悪と戦う存在は「プロヒーロー」という要資格の職業で、公務員的な扱いをされている。主人公はこのプロヒーローになるべく養成校で学び、個性を使う心得や、街に被害を出さずに敵(ヴィラン)と戦う術などを修得していく。
これらの共通項は『エヴァンゲリオン』シリーズをはじめとする庵野作品の影響ともいえるが(実際に『僕のヒーローアカデミア』の作者・堀越耕平や『呪術廻戦』の作者・芥見下々は庵野監督のファンを公言している)、マーベルやDCといったコミックの映像化作品にも同様の描写がみられる。『アベンジャーズ:エイジ・オブ・ウルトロン』(15)ではアイアンマンは自身の発明品によって新たな争いを生んでしまうし、彼の弟子であるスパイダーマンは師匠と同じ轍を踏まないように歩んでいく(『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』19ほか)。
また、『THE BATMAN ザ・バットマン』(22)のバットマンは正義の使者ではなく、復讐心に駆られた無法者として恐れられている。彼がヒーローとして認められるのは、姿をさらして街の人々と協力し、脅威を退けたときだ。さらに、ヒーローの危険性を描いた『ザ・ボーイズ』(19〜)等の存在が、暴力を肯定しかねないヒーロー映画の抑止力として働いている。『シン・仮面ライダー』は、こうした世の流れにも合致した作品といえるだろう。