翻訳の可能性と不可能性のはざまで
映像表現の話から離れるが、ウェスは『犬ヶ島』で使われる言語の扱いでユニークなアプローチを試みている。舞台となる日本のメガ崎市に住む人々は当然、日本語を話す。例外は米国からの留学生トレイシー(グレタ・ガーウィグ)と、海外向けニュース番組の通訳ネルソン(フランシス・マクドーマンド)。メガ崎市の主な出来事はこのニュース番組で語られるので、英語圏の観客は英語通訳を聞いて理解できる。
『犬ヶ島』©2018 Twentieth Century Fox Film Corporation
一方、犬たちの会話は英語で表現される。犬と人間は基本的には意思疎通できないが、アタリ少年の護衛犬スポッツには翻訳機が付けられていたので会話できた。
思い切った試みは、アタリ少年が犬たちに話しかける言葉や、メガ崎市の人々の非公式な場における会話などの日本語に、英語字幕を当てなかったこと。ハリウッドのスタジオが外国を舞台にした劇映画を作ると、そこが古代ギリシャ・ローマだろうが中世の大陸ヨーロッパだろうが登場人物全員に英語を話させるということがよく起きる。そんな――考えようによってはひどく傲慢な――アメリカ流に慣れた観客はさぞかし面食らっただろう。実際、英語圏では「日本人を理解不可能な存在として描いている」といった趣旨の批判も出たようだ。
ただし、ウェス自身が日本文化への敬愛や黒澤明作品など日本映画へのオマージュを語っていることを考え合わせると、こうしたアプローチはやはり異国の言語や文化を尊重し、多様性を認める監督の姿勢を反映したものだろう。外国の文化や思想は、翻訳できる部分もあれば、翻訳できない部分もある。だが言葉が通じなくても、言語以外で意思疎通する可能性は残されている。アタリ少年と犬たちも、会話はできないが心を通わせていく。一見不親切なやり方で、言葉が通じない相手とも互いに理解することは可能なのだと、ウェスは『犬ヶ島』で訴えているのかもしれない。
フリーランスのライター、英日翻訳者。主にウェブ媒体で映画評やコラムの寄稿、ニュース記事の翻訳を行う。訳書に『「スター・ウォーズ」を科学する―徹底検証! フォースの正体から銀河間旅行まで』(マーク・ブレイク&ジョン・チェイス著、化学同人刊)ほか。
『犬ヶ島』
©2018 Twentieth Century Fox Film Corporation
※2018年5月記事掲載時の情報です。
※【お詫びと訂正】
本記事内の表記に下記の誤りがございました。
(誤):マペット (正):パペット
皆様にお詫びするとともに、ここに訂正いたします。