『犬ヶ島』あらすじ
近未来の日本。犬インフルエンザが大流行するメガ崎市では、人間への感染を恐れた小林市長が、すべての犬を“犬ヶ島”に追放する。ある時、12歳の少年がたった一人で小型飛行機に乗り込み、その島に降り立った。愛犬で親友のスポッツを救うためにやって来た、市長の養子で孤児のアタリだ。島で出会った勇敢で心優しい5匹の犬たちを新たな相棒とし、スポッツの探索を始めたアタリは、メガ崎の未来を左右する大人たちの陰謀へと近づいていく──。
Index
日本人が共感する『犬ヶ島』と、ウェス・アンダーソンの作劇法
ウェス・アンダーソン監督の『犬ヶ島』は日本人の琴線に触れる映画だ。単に日本が舞台になっているからだけではない。映像の面でも物語の面でも、日本の文化や歴史に対する“リスペクト”(登場人物の小林市長がたびたび口にする言葉でもある)があふれているからだ。
『犬ヶ島』©2018 Twentieth Century Fox Film Corporation
前回記事では主に映像面からウェスの作家性とジャポニスム(日本趣味)について論じた。今回はウェスの作劇と、日本人に馴染みの深い物語類型という観点で、『犬ヶ島』に親しみを覚える理由を解き明かしていく。
ストーリーに入る前に、ウェスのフィルモグラフィーに共通する作劇の特徴を示しておこう。端的に言えば、「独立志向(単独行動、一匹狼)」対「仲間同士の絆」、「冒険の刺激と高揚感」対「共同体(家族、疑似家族)に安住する心地良さ」という、相反する価値を物語の中に組み込み、それらの対立をストーリーの推進力にしていることだ。
『犬ヶ島』©2018 Twentieth Century Fox Film Corporation
これはキャラクター同士のぶつかり合いの場合もあるし、あるキャラクターの内面の葛藤として描かれることもある。それを通じて登場人物(あるいは動物)は成長し、試練や混乱は収束へ向かう。ただし、そうした相反する価値のどちらかが完全に否定されるのでなく、双方を内包したまま解決を迎えるのも特徴的だ。