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『こわれゆく女』人物の内面に入り込むカサヴェテス映画の強さ

(c)1974 Faces International Films,Inc.

『こわれゆく女』人物の内面に入り込むカサヴェテス映画の強さ

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70年代まで不遇だった監督作品



 今では日本のミニシアターで人気監督となっているジョン・カサヴェテスだが、『フェイシズ』や『こわれゆく女』など60年代から70年代にかけて作られた数多くの代表作は、同時代的には日本に輸入されず、不遇の時代が続いていた。監督デビュー作の『アメリカの影』は独立系の会社、ATG系でなんとか上映されているものの、当時はビデオなどもなかったので、70年代は空白の時代となった。


 ただ、俳優としてのカサヴェテスはこの当時、映画にけっこう出ていて、顔は知られていた。『パニック・イン・スタジアム』(76)やブライアン・デ・パルマ監督の『フューリー』(78)などに出演。後者の悪役は特にインパクトがあった。テレビでは旧作の『特攻大作戦』(67)、『ローズマリーの赤ちゃん』(68)など、60年代の出演作もけっこう放映されていて、「刑事コロンボ/黒のエチュード」(72)では犯人役も演じていた(いま思えば、カサヴェテス一家の男優、ピーター・フォークとの共演だった)。



『こわれゆく女』(c)1974 Faces International Films,Inc.


 個性的な演技者としての彼は、70年代はそれなりに知られていたものの、俳優としての彼を見ているだけでは、どこまですごい監督なのか想像もつかず、ひたすらに想像だけがふくらんでいた。彼の代表作の1本といわれる『こわれゆく女』は75年のアカデミー賞の監督賞・主演女優賞(ジーナ・ローランズ)にもノミネートされていたが、それでも輸入されなかった。


 70年代の代表的なアメリカ人監督を取り上げ、映画の教科書的な扱いを受けていた77年出版のダイアン・ジェイコブズの著書“Hollywood Renaiassance”では、ロバート・アルトマン、フランシス・フォード・コッポラ、マーティン・スコセッシ、ハル・アシュビー、マイケル・リッチーらと共にカサヴェテスの章があり、「その後のハリウッド映画で顕著になる、リアリズムと俳優の演技をベースにしたパーソナルなスタイルを持つ彼を、私は“ニュー・ハリウッドの父”と呼びたい」と書かれている。


 カサヴェテス映画が本格的に日本で注目されるきっかけになったのは80年の『グロリア』からで、こちらは一般劇場での公開だったが、ミニシアター勃興期の80年代に入るとシネセゾン渋谷で『ラヴ・ストリームス』が公開された。そして、カサヴェテスの60年代~70年代の幻の旧作群がやっと入ってきたのは93年のこと。<カサヴェテス・コレクション>と題された映画祭が都内3つのセゾン系ミニシアターで行われ、アメリカ公開から19年遅れで『こわれゆく女』も日本の土を踏んだのだ。




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