キューブリックが見出した“ダークサイド”
スピルバーグは『A.I.』について興味深いコメントを残している。
「人々は、スタンリー・キューブリックと私のことを知っているふりをするけれど、実際にはどちらのことも分かっていない。非常に面白く感じるのは、人々が『A.I.』でスタンリーが作ったパートと思っているものは実は私のもので、甘口で感傷的だと非難されているパートは、全部スタンリーのものだったことだ。テディベアはスタンリーのアイデアだったんだよ。最後の20分は、完全にスタンリーのものだった。映画の最初の35〜40分、家の中の全てのシーンも、スタンリーの脚本から一言一句そのまま使ったんだ」
続けて彼はこう語る。
「明らかに、私は多くの映画で人々を泣かせ、感傷的な気分にさせてきた。そして、ハードコアな素材を甘くすると非難されてきた。しかし実際には、『A.I.』で最も甘い部分はスタンリーが手掛けたもので、私ではなかった。私は映画の暗い部分を手掛けたんだ。それが、彼が私にこの映画を作ってほしいと言った理由だ。彼は、“これは私よりもあなたの感性に近い”と言ったんだよ」(*)
キューブリックはデイビッドが人間になることを望み、ブルーフェアリーが実体化することを望んでいた。ブルーフェアリーの夢を見ていたのは、アンドロイドではなく、そしてスピルバーグでもなく、他ならぬキューブリックだったのだ。そして厭世主義者の彼は、かつて『時計じかけのオレンジ』を「社会に対して完全に絶望している映画だ」と感じたスピルバーグに、自分以上に“暗い部分”…ダークサイドを見出す。キューブリックが『A.I.』の演出をスピルバーグに託そうとしたのは、甘い感傷性に拮抗できる“暗さ”を映画に持ち込める人物だったからだ。
『A.I.』(c)Photofest / Getty Images
もちろん彼が、ハートウォーミングなタッチで物語を語るフィルムメイカーであることは間違いない。だが『フェイブルマンズ』で自ら告白したように、幼少時から暴力に酔いしれる“暗さ”も同時に持ち合わせていた。『地上最大のショウ』(52)で列車と車の衝突に心奪われ、母親から譲り受けた8ミリフィルム・カメラで衝突シーンを再現するほどに。
その残酷性は、『シンドラーのリスト』(93)や『アミスタッド』(97)のような、ハードなテーマを扱った社会派映画だけにとどまらない。若い女性や子供が巨大ザメに食い殺される『ジョーズ』や、神の怒りに触れてナチスの顔面が爆発する『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(81)の娯楽作品においても、容赦のない描写を何食わぬ顔でインサートしてきた。
スティーヴン・スピルバーグという映画作家の奥底には、光のスピルバーグと影のスピルバーグが違和感なく同居している。その振幅が、『A.I.』を非常に奇妙なフィルムにせしめている。