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『A.I.』アンドロイドはブルーフェアリーの夢を見るか? ※注!ネタバレ含みます

(c)Photofest / Getty Images

『A.I.』アンドロイドはブルーフェアリーの夢を見るか? ※注!ネタバレ含みます

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光のスピルバーグと影のスピルバーグ



 スピルバーグの堂々たる演出、ジョン・ウィリアムズの感傷的な音楽、デイビッドを演じるハーレイ・ジョエル・オスメントの無垢な瞳。確かにこの映画は、我々に大きな感動を呼び起こす。だが同時に「本当に自分は感動していいのだろうか?」という、相反する感情も湧き上がってしまう。


 この映画のラストでは、人類が絶滅した2000年後まで一気に時計の針が進む。高度に進化したロボットたちがデイビッドを再起動し、母親モニカに愛されたいという彼の願いを叶えて物語は優しく閉じられる。…いや、ちょっと待て。「人類はすでに絶滅している」し、「クローン技術によって蘇ったモニカは、たった一日しか生きられない」し、「母のそばでデイヴィッドは深い眠り(=死)を迎える」。デイヴィッドの主観では幸せなのかもしれないが、客観的にこの映画のラストについて考え始めると、暗澹たる気持ちになってしまう。



『A.I.』(c)Photofest / Getty Images


 希望と絶望がないまぜになったような感覚。『A.I.』という特異なフィルムは、正反対の感情を同時に誘発させる。それは、この映画の根幹のテーマである<愛>についても同様だ。デイヴィッドを引き取ったのはいいものの、実の息子に危害を加えるのではないかと不安を覚えるヘンリーは、モニカに「人を愛せるなら憎むこともできるはずだ」と語る。“愛憎相半ばする”という言葉がある通り、愛とは憎しみであり、憎しみとは愛なのだ。


 ホビー教授(ウィリアム・ハート)の研究所にいたもう1人のデイヴィッドを、「ママは渡さない!」と叫びながら破壊する場面も強烈。『2001年宇宙の旅』は、攻撃性が進化のきっかけになったとする「キラーエイプ仮説」に基づいているが(現在この説は否定されている)、この場面もデイヴィッドがより高次な存在へと進化したことを証明しているのかもしれない。だがその手つきは、あまりにも暴力的で残酷だ。


 ルージュ・シティでDr.ノウ(声:ロビン・ウィリアムズ)に質問するとき、デイヴィッドたちはカテゴリーで“おとぎ話”と“事実”を組み合わせる。ブルーフェアリーを発見するのは、“おとぎ話”と“現実”が同居する場所…コニーアイランドだ。愛と希望のおとぎ話を紡ぐ光のスピルバーグ(そしてスタンリー・キューブリック)、憎しみと絶望の現実を紡ぐ影のスピルバーグ。キューブリックが慧眼鋭く見抜いたスピルバーグの“暗さ”が“明るさ”と交わることで、単一の感情では言い表すことのできないエモーションが、『A.I.』というフィルムには焼き付けられている。


(*)http://www.movingpictureshow.com/dialogues/mpsSpielbergCruise.html



文:竹島ルイ

映画・音楽・TVを主戦場とする、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」(http://popmaster.jp/)主宰。



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