2024.03.26
脚本家・吉田玲子の手腕
原作漫画と本作が大きく異なるのは、全体のなかの後半で明らかになっていくはずの、核心に近づいていく過去の物語が、『前章』に配置されているところだ。これは、全12集を2作の映画に分けたときに、最も効果的に感じられる構成を狙ったというところだろう。この方向性は、原作者も参加したという脚本会議にて決定した可能性があるが、どちらにせよ成立までの過程で脚本家・吉田玲子の手腕が存分に発揮されているのは間違いないはずだ。
近年は漫画原作を持つアニメーション作品の脚本において、原作の展開から大きく逸脱するような仕事が少なくなってきている。そのなかで脚本家が、原作のテーマを汲み取りながら異なるフォーマットに合わせた内容をかたちづくろうとすれば、原作のエピソードをどう構成するか、作中の要素をどう利用してアニメーションとして観客の心を揺さぶるかという点が重要になってくる。その意味でいうと、まさに吉田玲子は適任といえるだろう。
過去に、吉田玲子脚本を絵コンテに起こしたアニメ演出家に取材をしたことがあるが、吉田の仕事は、原作通りに見える表現からでも、一つひとつの描写に明確な意味を感じられるのだという。それはおそらく、作品の本質的な部分を理解した上で、テーマを共有しながら取捨選択をおこなうことができていると理解することができる。ましてや、本作のような入り組んだ内容では、それこそが必要になってくる能力であるはずだ。
『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』©浅野いにお/小学館/DeDeDeDe Committee
筆者は、原作者・浅野いにお、幾田りら、あの が登壇する完成披露試写会に参加したが、コンセプト会議から脚本会議、配役会議、アフレコ、曲にまで関わったと話す、ステージ上の浅野いにおは、かなり驚くような発言をしていた。作中の細かなシーンを確認しながら、100〜200カットものリテイクを出し、浅野自身もレタッチや、一からの作画作業を担当した箇所すらあるというのだ。このように原作者が、ほとんど監督の領分に踏み込んでいる制作の現場というのは、なかなか類を見ないのではないか。
映画自体は立派な完成作として誇れるものになっていたと感じられるが、公開1か月を控えた時点で、まだまだ修正作業が残されていて、本公開時に差し替えると語っていたというのは、原作者のこだわりの大きさを実感させられるものだ。後章公開が、当初の予定の4月から5月へと変更されたというのも、おそらくは浅野いにおのリテイクが膨大だったことが大きな要因になっていると想像される。