原作と脚本
本作の原作者は、マーティン・ケイディンだ。この映画が日本で公開された1970年には、すでに多くのSF小説を発表していたが、専門は航空学と宇宙飛行学であり、航空機のマニュアルの執筆や、膨大な数のノンフィクションを手掛けており、生涯に発表した著作は80冊を超えた。
また戦闘機の修復にも熱心で、購入して修復したユンカースJu52を、自分で操縦したりもしている。さらに、若者向けに航空学を普及させる会社を設立し、テレビ・トークショーの司会も務めた。
ケイディンが原作小説「Marooned」(置き去り)を出版したのは1964年5月(執筆は1963年)で、宇宙関連では「ジェミニ1号」が、まだ無人で打ち上げられたころだ(有人飛行は1965年3号から)。
その内容は東西冷戦下、帰還不能に陥ったアメリカの「マーキュリー宇宙船」を、当時はまだ実験段階だったジェミニ宇宙船と、ソ連の「ボストーク宇宙船」が、共同で救出する物語だった。
発売前にこの小説を読んだ映画プロデューサーのマイク・J・フランコヴィッチは、すぐに映画化権を獲得する。そしてメイヨ・サイモンと共に脚本化し、フランク・キャプラ・ジュニアを共同プロデューサーとして予算確保を目指す。だが十分な資金が集まらず、企画は一度頓挫しかけた。
だが、諦めなかったフランコヴィッチは5年を掛け、脚本を洗練させていった。彼が行った大胆な変更は、3名の飛行士をサターンV型ロケット第三段のS-IVBタンクを利用した宇宙ステーションに長期滞在させるというものだった。現実の宇宙計画では、S-IVBを軌道上の有人実験室として使用する案が、1962年にダグラス・エアクラフト社から提出されおり、おそらくフランコヴィッチも、その文書を入手して採用したのだろう。
そして実際に、S-IVBタンクを利用した宇宙ステーション「スカイラブ」が、映画公開の4年後に実施されている。その様子は、映画の前半に描かれた描写に極めて近かった。
他にも劇中には、命綱なしで船外活動が可能な有人操縦ユニット「MMU」が登場する。これもアイデアとしては、1966年のジェミニ計画から存在していたが、実際に宇宙空間で使用されたのは1984年のスペースシャトルSTS-41-Bミッションにおいてだった(映画で言えば、『ゼロ・グラビティ』(13)の冒頭で、ジョージ・クルーニーが飛び回っている装置がMMUである)。
またケイディンは、フランコヴィッチの先見性に感心し、映画の脚本に合わせた改訂版小説を1969年に発表している。オリジナル版では、遭難するのがマーキュリー宇宙船で、救援に向かうのがジェミニ宇宙船とボストーク宇宙船だったが、これをアポロ宇宙船とリフティングボディ機の「X-RV」、及びソユーズ宇宙船(映画では一世代前の「ボスホート宇宙船」)に変更した。またミッションが、S-IVB宇宙ステーションの長期滞在という点も、脚本に即して変更されている。
この改訂版小説は、日本でも早川書房から1970年に翻訳出版された。古書店で見付けて読んでみると、その完璧さに驚かされる。アポロ宇宙船の細かな配管・配線まで調べ上げ、米ソの宇宙船の軌道の違いなども厳密に計算している。実際ケイディンは、政府の顧問として、マーキュリーとジェミニの両計画に参加しているほど、その知識は正確だった。