2025.06.04
『if もしも....』あらすじ
伝統的なイギリスの全寮制パブリック・スクール。イギリス社会と同じく厳しい階級が引かれ、下級生たちは監督生と呼ばれる上級生の命令には絶対服従、体罰や下級生へのいじめが横行していた。自由を求めるミック、ジョニー、ウォレスの3人はそんな学校に疑問と不満を抱え、問題行動を起こしては厳しい罰を受ける日々を送っていた。やがて、片付けを命じられた物置小屋に大量の武器があることを知った3人は、ある決意を胸に多くの父母や学校関係者が集う開校500年の記念日を迎える。
Index
学生運動の嵐が吹き荒れた時代
1968年、強烈な映画が英国から登場した。リンゼイ・アンダーソン監督の『if もしも....』である。英国の名門パブリック・スクールの生徒たちの抑圧と反抗を描いた作品だ。公開時に世界の大学では学生運動が起こり、生徒たちがエスタブリッシュメントに対して「ノー」をつきつけていた。
フランスでは1968年3月に新左翼の学生たちがパリ大学のナンテール校を占拠する事件が起き、5月には学校の封鎖に抗議する学生たちがパリに集結し警官隊と衝突。「5月革命」と呼ばれる嵐が吹き荒れた。
アメリカでは同じ年にコロンビア大学で新左翼運動の代表的な組織が抗議運動を起こし、学部長が人質になったこともあり、7日間で700人が逮捕されたという。この大学での学生紛争は、後に『いちご白書』(70)という映画でも描かれた(ただ、劇中で舞台になる大学名は別の名前に変更されている)。
日本でも1968年から69年にかけて東京大学での紛争が勃発。最初は医学部の学生が学校の待遇改善を求めて動いたことが紛争の始まりとなった。
世界的に学生運動の嵐が吹き荒れた時代に公開されることで、『if もしも....』は大きな話題を呼び、1969年の5月に行われたカンヌ映画祭では見事にパルムドールを受賞。
日本での公開は69年の8月2日。メインの劇場は日比谷スカラ座。日本でもかなり衝撃的な内容と受け取られたようで、「キネマ旬報」のベストテンでは第3位に選ばれている。当時、日本の学生運動のひとつの中心地だったのは東京大学だったが、この大学出身の映画評論家、荻昌弘氏は、当時、映画誌「スクリーン」にこんなレビューを寄せている。
「(この映画で)冷厳な攻撃を食ってるのは、本当はパブリック・スクールそれじたいなんかじゃない(ことに気付かないわけにはいかない)。(中略)平手打ちを食わされているのは、伝統と惰性のうえに安住を続けるイギリスの、いや今の社会の『既存権威(オーソドキシイ)』全体なのだ。(中略)日本の大学紛争でも、いま、猛攻にさらされている目標は、じつは『大学』なんぞではあるまい。大学に象徴される、日本の無気力と不合理と主体性のなさの全体――私をも含めた古さ全体だと考えなければならない」(「スクリーン」1969年9月号)
『if もしも....』(c)Photofest / Getty Images
監督のリンゼイ・アンダーソンは、1950年代後半から60年代の文学・演劇・映画界のひとつの潮流となった英国の<怒れる若者たち>と呼ばれる新しい流れの中心的な監督のひとりだ。もともと評論家だったアンダーソンは、当時の仲間だったトニー・リチャードソンやカレル・ライツらと<フリーシネマ>と呼ばれる自由な運動の真ん中にいた人でもあり、映画の新しい動きを作り出そうともがいていた。
監督デビューは1963年のリチャード・ハリス主演の『孤独の報酬』。スポーツ選手としての成功をめざすワーキング・クラスの主人公が主人公で、階級をめぐる葛藤、彼が思いを寄せる下宿の女主人との悲劇的な関係が描かれたモノクロのパワフルな作品。リアルな悲哀感が漂い、見終わると、どんよりした気持ちにもなる。日本ではATG(アート・シアター・ギルド)系のアート映画として上映され、批評家たちの間では高い評価を受けた。その6年後に日本で公開された作品が『if もしも....』だった。