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『汚れた血』前代未聞の疾走、スピードの魔法は伝染する

『汚れた血』前代未聞の疾走、スピードの魔法は伝染する

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“X”というイメージ



 劇場で体験する度に記憶違いを起こす、キュビスムのような映画である。一つ一つのイメージや技巧が秘密に満ちている。さらにそれは増殖を起こす。乱反射による錯覚を起こす。アレックスにとってのアンナ、あるいはアンナにとってのマルク(ミシェル・ピコリ)、さらにはリーズにとってのアレックスのように、『汚れた血』には触れられそうで触れられない秘密がある。触れることができると思えた瞬間に、すべてが消えてしまうような。それは恋に落ちる感覚に似ている。片思いの感覚に似ている。アレックスはアンナに告げる。「鏡に映った女は美しい」。「その映像で夜は夢を織る」。


 本作はセットに囲まれ、秘密主義で撮られている。撮影のジャン=イヴ・エスコフィエは、ショットごとに映画を完成させようとしていたという。この映画のワンショットに賭ける執念は、ほとんど常軌を逸している。ドニ・ラヴァンは語っている。「よりよくしようとするのではなく、より美しくしようとした」と。予算とスケジュールを超過して完璧主義で撮られた本作において、このスピリットは、スタッフとキャストが共有していた芸術への愛、執念といえる。レオス・カラックス、ジャン=イヴ・エスコフィエ、ドニ・ラヴァン、ジュリエット・ビノシュが本作について残した当時の言葉には、全員が恋に落ちているような感覚がある。


 サイレント映画以前の、エティエンヌ・ジュール=マレーによる連続写真のような、白鳥が羽ばたくファーストショット(35ミリのカラーフィルムで撮ったものを編集台にかけ、8ミリの白黒フィルムで撮り、さらにそれをスクリーンに投影、35ミリで撮り直したという)。この印象的なオープニングに続く、地下鉄のファーストシーンには、早速細かい仕掛けが施されたショットが登場する。アレックスの父親の背中へと寄っていくカメラ。その直前の数秒の間に女性の横顔のシルエットが映り込んでいる。後にアレックスが路面バスで発見することになる、“白いドレスの女”のシルエットである。アレックスが“白いドレスの女”という見知らぬ女性=“X”のイメージを追いかける展開へと、本作は向かっていく。



『汚れた血』4Kレストア版


 セットで作られた夢魔的なパリの街並み。迷路のような路地。“白いドレスの女”の顔の輪郭は、常にぼやけている。観客は彼女の顔を認識できない。アレックスは“白いドレスの女”を、アンナだと思い込む。アレックスとアンナが、恋人同士というよりも姉と弟のように見えることが興味深い。後年撮ることになる『ポーラX』(99)のモチーフは、既にレオス・カラックスの無意識の中に準備されていたのだ。恋に高揚する者の確信と不安の間を引き裂くのは、記憶の不確かさ、視線の不確かさだ。


 “X”のイメージは、本作に散りばめられている。アレックスとアンナが、シェービングクリームをかけあうシーンで、アンナはアレックスの胸を“X”の字の形に傷つける。あるいは、アレックスが潜入することになる製薬会社D.W社におけるSF的な赤い光線の交わり。アレックスが手の平に負った傷跡に交差する血の跡(未完成の“X”)。タイトルが示すように、血の赤さが問題となる。“X”は不確定要素であり、傷口であり、深淵への入り口なのである。


 『汚れた血』というタイトルは、アルチュール・ランボーの詩集「地獄の季節」の一篇「悪い血」からとられている。「悪い血」の中には、腹の中にコンクリートが詰まっているアレックスのダンスと呼応するような箇所がある。「俺は死人たちを腹の中に埋葬した。叫びだ、太鼓だ、ダンス、ダンス、ダンス」。アレックスの腹の中に詰まっているコンクリートとは、“過去”であり、死者たちが埋葬されている“墓石”でもあるのだろう。そして死者とは父親のことであり、後から生まれてきた者だけが宿命的に背負う遺産のことでもある。芸術の遺産。映画史におけるイメージの遺産。このときアレックスとレオス・カラックスのイメージは重なっていく。本作において後ろ姿しか現れない2人の人物がいる。それはアレックスの父親と、カフェのシーンにおける死んだはずのジャン・コクトー(偽物)の後ろ姿である。アレックスは腹の中に抱えたコンクリートを拳で叩き壊し、この世界の重さ、自分自身の重さ、遺産からの解放を望んでいる。




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