ドニ・ラヴァンという身体言語の発明
「まるで楽譜と向き合う音楽家のように仕事をしているような気分でした。より強く、より大きな音量で演奏したり、あるいは微調整したり、ある瞬間だけテンポを速めたり。」(ドニ・ラヴァン)*3
ドニ・ラヴァンによると、『汚れた血』の脚本はとても厳格に書かれていたという。緻密な画面設計と高度な撮影技術が凝らされた作品だが、多くのテイクを重ねたのは技術的な問題ではなく、主に感情面の問題だったという。この時期の撮影現場でのレオス・カラックスは、基本的に撮影監督のジャン=イヴ・エスコフィエとしか会話を交わさなかったといわれている。すべての指示は、ジャン=イヴ・エスコフィエを通してスタッフに伝達されていたそうだ。若き映画監督と気鋭の撮影監督による鉄壁の二重奏(デュオ)。2人は一緒に絵コンテを描いている。しかし俳優たちにだけは、レオス・カラックス自身が直接耳にささやくように話しかけていたという。
レオス・カラックスは、俳優たちが生きてきた世界をこの作品に持ち込むことを要求している。ドニ・ラヴァンとジュリエット・ビノシュは、子供の頃の写真を持ち込んだという。ドニ・ラヴァン曰く、「目に見えないレベルまで絶えず提案しなければならなかった」。ドニ・ラヴァンには、オットー・プレミンジャーの『ローラ殺人事件』(44)等で知られるダナ・アンドリュースの抑制された演技を。ジュリエット・ビノシュとジュリー・デルピーには、リリアン・ギッシュの出演作品を参考にするよう促している。ジュリエット・ビノシュはリリアン・ギッシュの映画の他に、チャップリンの映画を見ている。チャップリンのことを強く思い浮かべながら演じたシーンもあるという。本作には過去のスクリーンの幻影、遺産との“対話”がある。チャップリンつながりでいえば、『ライムライト』(52)の「テリーのテーマ」が、ミレーユ・ペリエと幼児が登場するシーンで使用されている。この曲を選んだ決め手となったのは、ミレーユ・ペリエが撮影現場に持ち込んだカセットテープに収録されていたことだった。

『汚れた血』4Kレストア版
幼児と共にストリートをよちよち歩きするアレックス。幼児への退行は、芸術の幼年期への退行、映画の“ゆりかご”への退行である。それは絶え間なく進化する映像技術の中に予測不能のノイズをもたらす。ノイズとしての身体。この身体表現において、レオス・カラックス映画におけるドニ・ラヴァンは、新たな身体言語を発明したといえる。身体を楽器のように操る。ドニ・ラヴァンの身体表現は、『汚れた血』で完全に開花する。
アレックスはお腹の痛みを感じながら歩き始め、どんどんバランスを崩しながらも走らなければならない。デヴィッド・ボウイの「モダン・ラヴ」をバックにアレックスが走るシーンは、脚本レベルではこのような抽象的な表現だったという。伝説的な横移動撮影は、廃墟の長い壁や柵を、セットと同じ色調に塗りたくって撮影された。アレックスは、ただ疾走するのではない。病人のようにお腹を抱えながら助走が始まり、お腹に詰められた“コンクリート”を叩き割りながら走る。背後から強烈な風圧を浴びるように全身が宙に高く跳ね上がる。体ごと壁にぶつかる。それは弾力となり、加速度が増していく。駒のように回転する。何者かに追われているように背後を振り返る。側転する。前代未聞の幸福に向かう爆発的な疾走。それはノイズだらけである。疾走というよりも前衛的なダンスに見える。さらにフィルムの1コマ1コマのような壁や柵の模様が背景になっていることで、アレックスの疾走は、壊れた映写機で再生されたダンスのようにも見える。このシーンだけを何度繰り返し見ても新鮮な驚きがある。模倣できるような動きではない。映画の中でこのように疾走した俳優は、後にも先にもドニ・ラヴァンの他にいない。