遺族と作品の関係性
映画化に難色を示していた一人が、未亡人となったコートニー・ラヴだった。サント監督は実際に彼女と話し合い、その喪失の大きさを知ることで、カート・コバーンについての映画を正面から撮ることを断念することになる。そして、カートの死からインスパイアされた“オリジナルの物語”として、新たに脚本を書くことにしたのだ。そんなアプローチは、製作上の事情が第一とはいえ、奇しくも作品にとって、抽象性や普遍性、そして神秘性を与えることにもなった。
しかしマイケル・ピットの演じるブレイクの風貌は、カートを意識させるものであり、設定もまた実際の状況に酷似しているのは事実ではある。こうした作品への取り組みを、表現の自由と受け取るか、倫理性の逸脱と取るかは、観客によって異なるのではないか。そして作品の出来が良いからといって、必ずしもこのアプローチ自体が正当化されるわけではないことも留意しておきたい。とはいえ、劇中でブレイクの妻子の存在をほとんど示唆しなかったことが、サント監督の配慮だったことは想像に難くない。

『ラストデイズ』(c)Photofest / Getty Images
じつはこの倫理性の問題は、近年とくに表面化することとなった。2022年、イギリスのロイヤル・オペラ・ハウスの小劇場リンバリー・シアターにおいて、本作をオペラ化した演目が上演され、ラグジュアリーブランド「バレンシアガ」が衣装を担当したことでも話題となったのである。この舞台版は、あくまで『ラストデイズ』を原作としたものであるとして、カート・コバーンの遺族に了承を得たものではなかった。
結果として、カート・コバーンの遺産管理団体が、この商業的な側面の強いオペラ上演について、そしてあらためて映画版である本作に対して、公式に不快感を表明し、サント監督を名指しで批判する事態に至る。この事実は、映画版の存在そのものにも、遡って小さくない影を落とすこととなった。こうした批判に必ずしも観客が同調しなければならないわけでもないが、鑑賞に際しては、この映画が倫理的な問題を内包した作品だという意識を、どこかで持つ姿勢が必要だろう。