宗教的描写に込めた意味とは
そんなブレイクは、ある瞬間、キリスト教における天啓に打たれたかのような、“宗教的法悦”に導かれる。それは、仏教において煩悩の火を消し去り、心の安らぎを得るという“悟り”の境地である「ニルヴァーナ」を思わせるところもある。同時に、ブレイクの身体から魂が離れていく宗教的描写では、旧約聖書の「創世記」に登場した、「ヤコブの梯子」が現れたかのような演出もある。
ここでの多面的な描き方は、仏教にシンパシーを感じながらも特定の宗教に深くのめり込まなかったコバーンの性質に準拠していたとも考えられる。それでもそこで宗教的な描写をサント監督が入れざるを得なかったのは、カート・コバーンの死をそのまま陰惨なものとして描写することができなかったからだろう。
ヤコブの梯子は、その魂に安らかな時間が訪れることを願って、監督の個人的な心情によって配置されたものなのではないか。またそれは、涜神的ともいえる退廃的な小説を書いてきたフランスの作家J.K.ユイスマンスが、「大伽藍」などの作品で宗教的な世界に回帰した「カトリシスム三部作」を完成させた経緯にも重ねられるかもしれない。

『ラストデイズ』(c)Photofest / Getty Images
「死の三部作」は、本作によって幕を下ろした。『ラストデイズ』以降も、ガス・ヴァン・サント監督は、より中庸的な方面へと移行しつつも、“死”をテーマにした作品を手がけ続けている。だが、本作ほど直接的に死に向き合ったものは、もう撮られないかもしれない。それほど本作は、観る者も、作る者をも深刻にさせる内容だからである。
人間の命ははかなく、さまざまな理由から、自ら死に近づこうとする人もいる。それは止めるべきことなのは言うまでもないが、生きるエネルギーに満ちた人が、真にその人の身になれるかというと、難しい部分もあるだろう。その意味でいうと、この種の作品は、死を深刻に描くからこそ、死に接近してしまった観客により寄り添う力を持った内容になっているのかもしれない。
また、死ぬことなど考えていない人にとっても、いつか死が訪れる運命が待ち構えていることに変わりはない。中世ヨーロッパにおける学僧はしばしば、机の上に人間の頭骨を飾り、「死神の頭骨」と呼んで“死”を身近なものと感じようとしたという。「死の三部作」は、そういう観客にとっての、死神の頭骨といえる映画にもなり得るのではないだろうか。
文:小野寺系
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