※本記事は物語の核心に触れているため、映画未見の方はご注意ください。
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サイキックスリラーの名作を現在視点で観る
1983年の『デッドゾーン』を現在の視点から観ると、グレッグ・スティルソンという登場キャラクターが公開当時とは異なった印象をもたらす。マーティン・シーンが危険性たっぷりに演じるこの上院議員候補は、派手なパフォーマンスで聴衆を沸かし、庶民の理解者をよそおいながら権力の階段を駆け上がっていく。そして大統領の座へと登り詰め、やがては核戦争の引き金を引き、世界を破滅へと誘導する。
これをもって「原作者スティーヴン・キングは現代アメリカを予見していた」と断定するのも短絡的だろう。とはいえ初公開から40年以上を経た現在、キングが創造したスティルソンという存在から、カリカチュアな側面が薄れていることは実感できる。粗野な言動を親しみやすさに変え、政治をショー化して権力の中枢へ近づいていく。そこにはフィクションとして受容することのできない“リアル”がベッタリと付着している。

『デッドゾーン』THE DEAD ZONE (C) 1983 Dino De Laurentiis Corp.
と、ここまで言及しておいて気後れするが、『デッドゾーン』にアメリカ現代政治の狂騒を重ねるのが、この稿の本道ではない。本作の重要なポイントはあくまで「最悪の未来を知ってしまった者の代償と末路」というドラマにこそある。
交通事故から5年間の昏睡を経て目覚めた、高校教師のジョニー・スミス(クリストファー・ウォーケン)。彼は人や物に触れることで、過去や未来を見通す特殊な能力を得る。そしてその予知の中には、まだ確定していない未来の領域、すなわち“デッドゾーン”があることを知る。そこには人の意志が介入する余地があり、未来を変えることができるのだ。
だが、その特殊な能力と可能性は、ジョニー自身を救ったりはしない。むしろ逃げ場をじわじわと奪っていくところに、この映画の容赦ない残酷さがある。