2019.07.03
「恋人との記憶を消す」斬新性が面白さに直結
『エターナル・サンシャイン』の何が「新しかった」のか? それはやはり、先にも述べた「恋人との記憶を消す」行為だ。
記憶が消える、という設定自体は『私の頭の中の消しゴム』(04)、『50回目のファースト・キス』(04)等の恋愛映画や、『トータル・リコール』(90)、『メメント』(00)等のサスペンスで使われている人気の題材。しかし、これらは全て体質や陰謀など、受動的な要因だ。「自ら進んで記憶を消す」という能動的な作品は、多くの人々にとって聞いたことがなく、非常に斬新だった。
今でこそ、PCやスマホの普及で「思い出のデータ化」が当たり前になり、「消去する」行為への親近感も高まってきている。ロボットやアンドロイドでなく、生身の人間が日常的にパーソナリティの入れ替え・出し入れを行う時代だ。しかし、「モノ主義」がまだ強かった15年前の世界では、この発想が生まれる土壌自体がまだ育っていなかったといえる。
その部分とも付随して効果的だったのが、アクティブなヒロイン像。ディズニーの実写版『美女と野獣』(17)、『アラジン』(19)など、近年ではメジャー作品でも「自立した女性」が意識的に描かれているが、04年当時では「戦うヒロイン」としての描写はあれど、恋愛を主体的に「終わらせる」女性キャラクターは、ハリウッドでは少なかったように思う。そもそも、『エターナル・サンシャイン』の恋愛は女性が男性に声をかけるところから始まり、全ての主導権を女性が握っている。これも珍しいパターンだ。
『エターナル・サンシャイン』(c)Photofest / Getty Images
本作のヒロイン、クレメンタインは奔放な性格で、髪色も頻繁に変わり言動も自由そのもの。それを『タイタニック』(97)で純愛を体現したケイト・ウィンスレットが演じるのだから、破壊力は抜群だ。この辺りの配役にも、明確な意図が見える。
設定、キャラクターときて、映像も大きな話題となった。記憶の消去によって思い出の中から恋人が消失し、ベッドで目が覚めると周りは寒々しい海辺で、シーンが飛ぶと部屋の中には雨が降っている。主人公が縮んだり、或いは中身だけが子どもになり、乗っていたはずの車は消え、部屋に入れば真っ暗になり、何が起こるかわからない。明確なイメージが沸きづらい「記憶消去」が見事に可視化されており、観客は初めて見る演出の数々に心を奪われた。
このように、細分化して見ていけばいくほど、『エターナル・サンシャイン』は「新しさ」が「面白さ」に直結していることが分かる。つくづく隙のない作品だ。
次項からは趣を変えて、物語に宿る「感情」をテーマに語っていこう。これを書いている僕のテンションもおかしくなってくるが、ご容赦いただきたい。