2019.07.03
映画自体が、忘れられない恋人
撮影技法や舞台裏について、いくらでも語ることができる作品だとは思う。CGを極力使っていない本作は、流し台がバスタブになるシーンも、家の中に雨が降るシーンも実際に撮影しているそうだ。コメディ俳優であるジム・キャリーにとって、本作でのダウナーな演技は大きな転機となった。物語の構造的にも、イライジャ・ウッド演じるパトリックが隠れたキーマンになっていて、彼を中心に観ていくと時系列のトリックが整理できて面白い。キルスティン・ダンスト扮するメアリーの切ない恋も魅力的だ。
使用曲もセンスの塊で、作品を観てサウンドトラックを購入した方も多いだろう(余談になるが、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』の冒頭で「Mr. Blue Sky」が流れたとき、本作を思い出して涙ぐんでしまった)。
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』予告
ただ、この映画のことを思い出すときに蘇るのはいつも、具体的なシーンやエピソードではなく、甘くて切ない「表情」だ。氷の上に寝そべった2人が空を見上げていたとき、感じていた幸福感。その幸せの絶頂が未来永劫更新されないという哀しみ。画面から滲み出す映画としての「感情表現」が、本作の核として印象に残っている。
日常の中でふっと終わった恋を振り返る刹那、脳裏にフラッシュバックするもの。それは、あのとき愛した相手の顔なのではないかと思う。自分に向けられた表情たちが示す、確かな愛情。もう二度と、還ってはこないもの。この映画の元素は、終わってしまった恋たちだ。
映画自体が、忘れられない恋人。
本作を観るとき、人はそれぞれの愛に立ち返る。
文: SYO
1987年生。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクション・映画情報サイト勤務を経て映画ライターに。インタビュー・レビュー・コラム・イベント出演・推薦コメント等、幅広く手がける。「CINEMORE」「FRIDAYデジタル」「Fan's Voice」「映画.com」等に寄稿。Twitter「syocinema」
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