2019.07.03
恋のすべてが描かれている
よし。堅苦しいのはここまでだ。背伸びしていたが、僕が本作に出会ったのは北陸の片田舎に暮らしていた高校三年生の時だ。映画館ではなく(そもそも上映してなかったかも)、地元のレンタルビデオ屋でジャケ借りして観た。なので、当時は「製作背景は……」とか「映画史的に……」なんてことは何も知らない。
『エターナル・サンシャイン』を初めて観たあのとき、ただただ、これまで感じたことのない面白さにぶっ飛ばされた。切なさに涙した。そして、気づいたら映画業界を目指していた。この映画には、誰かの人生を変えてしまうほどの影響力がある。僕自身がその証明だ。
設定が面白い、映像が新しい、ジム・キャリー、ケイト・ウィンスレット、イライジャ・ウッドにキルスティン・ダンスト、マーク・ラファロという豪華キャストが素晴らしい、それよりも何よりも、心に刺さったこと。この映画じゃないと駄目だと強烈に感じた理由。
それは、恋のすべてを描き切っているから。
『エターナル・サンシャイン』(c)Photofest / Getty Images
誰かと出会い、話し、好意を抱き、告白し、結ばれ、衝突し、すれ違い、飽き、好意が薄れ、また話し、別れる。そしてその後も、人生は残酷に続いていく。恋人が他人に戻った後に残るのは、思い出と記憶の残滓だけだ。2人が確かに、あのころ恋人だった証拠。それすらも、この映画は消去しようとする。
彼女は突然去り、2人の思い出を記憶ごと消した。もう復縁することはないだろう。悲しいから、自分も記憶を消すことにした。でも、気づいた。記憶の中の彼女だけが、自分が愛情を注いでいい存在だと。
記憶除去手術は、2人の思い出を一つずつ振り返り、潰していく。楽しかった出来事も、つらかった事件も、全てが大切な思い出なのだと悟ったとき、できることはもう残されていない。現実世界の彼女はもう新しい人生を始めている。自分の手術もまもなく終わるだろう。あと少しで、恋自体がなかったことになる。
『エターナル・サンシャイン』(c)Photofest / Getty Images
それでも、主人公は抗ってしまう。自分の消されゆく記憶から、恋人を救おうとする。この「報われない逃避行」が、とてつもなく哀しい。主人公の脳内にいる「彼女」は実際のその人とは全く違うし、救ったところで何の影響もない。記憶除去から彼女を逃がせても、苦しみは消えない。記憶と痛みは同じものだから。
それなのに、何故。
まだ、好きだからだ。
たとえもう一緒に歩めなくても、目の前で彼女が消えそうになったら救おうとしてしまう。「消したいのに、消したくない」という矛盾した失恋後の感情を、本作は見事に描き切っている。結果的にジョエルは、記憶除去施術中にクレメンタインへの想いの深さに気づき、もう一度、いや何度も彼女に恋をするのだ。