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『わたしを離さないで』心をかきむしる、「作り物」たちの残酷な人生

(C)2018 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved.

『わたしを離さないで』心をかきむしる、「作り物」たちの残酷な人生


「共感の切除」が心を揺さぶる独自の構造



 本作の舞台は、1978年から1994年のイギリス。外界との接触を禁じられた特別な寄宿学校で暮らしていたキャシー(キャリー・マリガン)、ルース(キーラ・ナイトレイ)、トミー(アンドリュー・ガーフィールド)はある日、自分たちが臓器提供のために育てられていたと知る。逃れられない運命に縛られ、定められた生をなぞっていく3人の行き着く先は……。


 静謐な雰囲気と、衝撃的な内容のギャップ。『わたしを離さないで』は、観る者の道徳観や倫理観に鋭く訴えかけ、人によっては嫌悪感を抱くことになるかもしれない。観賞後に、上質なえぐみが残る罪深いSF作品だ。自分たちの生が100%「誰かのため」であり、臓器提供後は死ぬだけだと知った若者たちの青春。「僕たちはブロイラーのようなものさ」というトミーの台詞が、観る者の心を切り刻む。


 原作の時点で相当な問題作だといえるが、映画版の本作を美しくもおぞましいものにしている理由はいくつか挙げられる。「説明の排除」「感情の欠如」「他者の不在」……この作品には、「外的な目」が感じられない。映画全体が主観だけで出来ているため、観る者との間にハレーションを引き起こすのだ。この「処置」は、本作特有の異能として強く印象に残る。


 例えば、あなたがある人物に出会ったとする。その人は顔立ちも美しく、穏やかな性格であなたは好感を持った。その人ともっと仲良くなりたいと感じた。だが、何故か引っかかる。自分とその人の間には、決定的に違う何かがあるような気がしてならない。こすってもこすっても離れてくれないこの「気持ち悪さ」は何なのだろう? そういった感覚だ。



(C)2018 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved.


 この作品と向かい合うとき、我々の心には「分からない」という感情が生まれる。それは筋が難しくて理解できないとかリテラシーが足りていないとかではなく、ただ単純に「この人の“心”が分からない」という恐怖と憐憫だ。


 キャシー、ルース、トミーを俯瞰で見ているのではなく、彼らの「分身」として物語が形成されているということ。彼らの目線・思考・分別がそのまま、作品の目線・思考・分別になっている。そしてそれらの要素は、我々観客が当たり前のように持っている感覚とは重ならない。つまり、この作品においては登場人物に「共感」することが難しい。ただそれは、感動できないということでは断じてなく、「共感できないことこそが、心を揺さぶる」トリッキーなつくりになっているということだ。


 固有の人生を持ってはいけない彼らにとっての「自分の物語」が、我々が「共感できる物語」ではないという皮肉。物語の演出に泣かされるのではなく、「自分と彼らとは違う」という残酷な真理が示され、共感できない・理解してあげられないという「結果」に泣かされる。私たちが『わたしを離さないで』によって流す涙は、実に複雑な色と形をしている。


 「提供」するためだけに生きた若者たち。そうではない私たち。両者の道は初めから隔絶され、繋がることは決してない。



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