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『わたしを離さないで』心をかきむしる、「作り物」たちの残酷な人生

(C)2018 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved.

『わたしを離さないで』心をかきむしる、「作り物」たちの残酷な人生

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運命への逆らい方を「知らない」という悲しみ



 前々章で「感情の欠如」と書いたが、フィルターがかけられたような感情表現も独特だ。寄宿学校に赴任してきたルーシー先生は、生徒たちに向かって「あなた方の人生はすでに決められているのです。臓器を提供するために生まれた存在であり、3度目か4度目の手術で一生を終えるのです」と絞り出すような声で教える。


 通常の映画であれば少年少女がどのような表情をするか、が見どころなのだが、彼らは無言でルーシー先生を見つめている。そこに私たちが期待するドラマティックなリアクションは存在しない。唯一立ち上がったトミーは、床に落ちていたプリントを拾って教卓に戻し、また椅子に座りなおす。絶望の表情を見せるのは、ルーシー先生だけだ。


 見せかけの教育で子どもたちを育て、大人になれば臓器を切除して御役御免。しかも、「自分たちが“提供者”である」という事実を隠す気もほぼない。なのになぜ彼ら提供者たちは黙って言うことを聞いているのか? そもそも疑問を抱くことがないから、反逆の意志自体が生まれないのだ。土壌がなければ、作物は育たない。



『わたしを離さないで』(C)2018 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved.


 彼らは大人になるにつれて少しずつ感情が発芽し、涙を流したり恋心を抱いたりするようになるが、最初から切除されていたように「怒り」や「憎しみ」といった感情を抱かない。自分たちが短命であることを受け入れ、享受するだけ。他の人生を望むことはあっても、そのために行動を起こそうとはしない。運命に逆らうビジョンを描けない。ここに、途方もない悲しみがある。しかしそれは作品の中では描かれず、私たちの心の中でのみ渦巻く感情だ。私たちは「戦う」ことを知っている。彼らは知らない。教えられもしない。


 中盤以降、「オリジナル」という言葉が出てきて彼らがクローンであることが仄めかされるのだが、このように「作られた存在」を描く作品においては非常に珍しく、「生んだ者VS生み出された者」の闘いが発生しない。彼らは禁忌を犯してまで生きようとはせず、せいぜい手術の猶予を「申請」しようとするだけだ。自分の運命に対して涙することはあるが、自分が生きるために誰かや何かを犠牲にしようとは思わない。


 『ブレードランナー』(82)や『アイ,ロボット』(04)、『猿の惑星:聖戦記』(17)など、作られた存在が反逆を起こす作品は数多い。しかし本作にはそれがない。『存在のない子供たち』(18)のように「何故生んだ?」というような怒りもなければ、『ガタカ』(97)のように運命に逆らう意志もない。DNAの通りに生きて、役目をこなしていく。「それでいいのか!?」という私たちの叫びが、彼らに届くことはない。



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