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『ジョーカー』社会の被害者が「王の資質」を得るまで――禁忌にふれる、悪への共振

『ジョーカー』社会の被害者が「王の資質」を得るまで――禁忌にふれる、悪への共振

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『ジョーカー』を生み出した“正体”は?



 正義という確固たる観念が根底にあるマーベル映画と、善悪の垣根が融解し、個々人の信念の違いにまで細分化されたDC映画。ここで重要なのは、DC映画は「悪=世間から外れた存在」に“居場所”を与える意識が強いということだ。ヒーロー集団アベンジャーズに対するヴィラン連合スーサイド・スクワッド、の構図がわかりやすい。


 つまり、DC映画においての「悪」の定義はマーベル映画や他の作品とはやや異なっており、『ジョーカー』という作品に対する受け皿は、すでに完成されていたといえる。この映画は決して飛び道具ではなく、DC映画の系譜において純然たる「正統派」なのだ。




 もう少し踏み込んで考えるなら、『スパイダーマン』に代表されるマーベル映画では「事件」が人をヴィランにするが、『ダークナイト』に代表されるDC映画では「環境」が人をヴィランにするといえよう。マーベル映画では自らが悪と自認しているヴィランが多いが、DC映画では罪の意識はなく、「悪」と定義されることによってヴィランにカテゴライズされる。だからこそ、DC映画では「悪」の定義づけが不明瞭だ。


 ヴィランの背景を描いた『ジョーカー』は、マーベル的演出に寄せた映画なのか?と思えるかもしれないが、実はまるで違う。この映画には、正義=ヒーローというものが存在しないからだ。悪というのは、対立する正義があるからこそ生まれるもの。だがこの作品には正義の守護者は登場せず、主人公はあくまでヴィラン。最初から、正義と悪の相克という要素が成立しない。その環境で育っただけなのだから。


 そう、これまで幾度か述べてきたように、DC映画では環境、つまり「社会」が影の登場人物として重要な役割を果たしている。『バットマン』シリーズに登場する架空の街「ゴッサム・シティ」は、まさにその象徴だ。『バットマン ビギンズ』(05)では、街に垂れ込める悪意が主人公ブルース・ウェインの両親を殺し、バットマン誕生のきっかけを作った。ノーラン監督は、3部作すべてでゴッサム・シティを「社会の縮図」として描いている。



 『ジョーカー』でも、街に蔓延する貧困と怒りが人を狂気に走らせるという演出がなされており、ゴッサム・シティが主役の1人として描かれている。そしてその街には、正義がない。それどころか、爆発寸前の火薬庫のような一触即発の状態だ。ハッピーな笑いを届けようとした結果、街に拒絶されたアーサーが「怒り」に貫かれて変貌を遂げたとき、街は初めて彼を歓待する――そしてあの狂気の笑みが、スクリーンを染め上げる。


 この映画の命題の1つである「ジョーカーを生み出したものは何か?」に対する答えは、観る者によって異なるだろう。ただ、その“黒幕”に限りなく近いものが「街」であることは疑いようがない。街が、社会が、時代が、孤独な男を悪の権化へと変えた――異端の存在に見えて、本作はDC映画を形成する「魂」を受け継いだ一作なのだ。



文: SYO

1987年生。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクション・映画情報サイト勤務を経て映画ライターに。インタビュー・レビュー・コラム・イベント出演・推薦コメント等、幅広く手がける。「CINEMORE」「FRIDAYデジタル」「Fan's Voice」「映画.com」等に寄稿。Twitter「syocinema」


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作品情報を見る



『ジョーカー』

2019年10月4日(金) 全国ロードショー

配給:ワーナー・ブラザース映画

(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics

公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/


※2019年10月記事掲載時の情報です。

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