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『ジョーカー』社会の被害者が「王の資質」を得るまで――禁忌にふれる、悪への共振

(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics

『ジョーカー』社会の被害者が「王の資質」を得るまで――禁忌にふれる、悪への共振

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「事件」が人を狂わすマーベル、「環境」が人格を作るDC



 『モダン・タイムス』『狼たちの午後』『タクシードライバー』『キング・オブ・コメディ』などとの関連性、『ダークナイト』の呪縛を解き放つキャラクターへの斬新なアプローチ、そして詳細は控えるが、衝撃的かつ凄惨な展開――。『ジョーカー』という映画は、この先多くの耳目にさらされ、後世に語り継がれていくだろう。


 できる限り作品のネタバレを避ける形で筆を進めてきたが、最後に1つだけ、本作における「ジョーカーを生み出した正体」について考察したい。


 『ジョーカー』は初めてジョーカーの過去を明確に描いた映画だが、アメコミ映画の文脈では、実はヴィランの背景に言及すること自体は珍しくない。現にマーベル映画では、ほぼ毎回ヴィランの過去が描かれる。



『ジョーカー』(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics


 その最たる例は、『スパイダーマン』だ。あのシリーズは、過去のどの実写映画版でも、基本的に善人が“闇堕ち”してヴィランになる。つまり、何かしらの「事件」が人を悪の道に落とす、という思考だ。乱暴な言い方をしてしまえば、性善説の属性が強く、陽の当たる側にいる人間が転落する=悪というはっきりとした構造が見て取れる。


 対して、ジョーカーの原典であるDCコミックの映画では、心のトラウマを抱えているバットマン然り、虐げられて育ってきたペンギン然り、キャットウーマン然り、堕ちるまでもなく元々暗がりにいるキャラクターが多い。こちらは性悪説の傾向が強く、正義と悪が非常に近いところにある。マーベル映画のように絶対的な観念はなく、善と悪の違いは両者の立場の相克によって生じるところが大きい。史実との結びつきが強い『ウォッチメン』(09)も、その系譜にある作品といえる。


 クリストファー・ノーランの『ダークナイト』シリーズでいえば、ラーズ・アル・グールもスケアクロウもベインも、自分の信念が世間的には「悪」というキャラクター。ジョーカーにおいては、彼らを究極的に突き詰めたスーパーヴィランであり、ある種の神話的な存在だ。そのため、正義の検事が「闇堕ち」したマーベル的ポジションのトゥー・フェイスが物語の中で浮き上がり、純粋悪のジョーカーとの対比が引き立つのだ(逆のパターンは、『ブラックパンサー』(18)のキルモンガーだろうか)。



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