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【ミニシアター再訪】第5回 六本木からのNew Wave・・・その2 シネ・ヴィヴァン・六本木 後編

【ミニシアター再訪】第5回 六本木からのNew Wave・・・その2 シネ・ヴィヴァン・六本木 後編

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 シネ・ヴィヴァン・六本木は、まさに“伝説のミニシアター”のひとつ。オープンは83年、閉館は99年ゆえ、16年間しか存在していないが、一度でもこの劇場に足を踏み入れたことのある人は、今もその特異な雰囲気を忘れていないはずだ。


 劇場が入っていたWAVEというカルチャー・ビルの個性も含め、何か強烈な存在感を放っていた。


 前編ではWAVEの当時の様子を振り返ったが、後編ではシネ・ヴィヴァンの元支配人、塚田誠一さんの発言をご紹介したい。彼と再会したのは2012年の夏。その頃、彼は音楽業界で仕事をしていたが、久しぶりに連絡を取ると快く取材に応じてくれた。


 取材から時間がたったが、その日、目を輝かせながら、当時のことを振り返る彼を見て、あの劇場の存在意義を改めて思い知らされた。


 特に彼の思い入れが深い一本がスペイン映画『ミツバチのささやき』。この劇場が生んだ人気作品の一本で、当時の反響についても語ってくれた。


※以下記事は、2013年~2014年の間、芸術新聞社運営のWEBサイトにて連載されていた記事です。今回、大森さわこ様と株式会社芸術新聞社様の許可をいただき転載させていただいております。


Index


最先端を好む人々に支持された



 1983年にオープンした東京・六本木のカルチャー・ビル、WAVEには大きなインパクトがあり、地下1階のシネ・ヴィヴァン・六本木は、六本木の交差点をはさんで反対方向にあったレイトショー専門館、俳優座シネマテンと並び、六本木の先駆的なミニシアターとなった。


 シネマテンの方は『ベニスに死す』(71)のルキノ・ヴィスコンティや『眺めのいい部屋』(86)のジェームズ・アヴォリーのように、華麗な雰囲気のある大人の映画を好んでいたが、シネ・ヴィヴァンのテイストはもっと前衛アート風で、最先端の文化を好む若い客層をひきつけていた。 


 劇場のオープンの頃の話が聞きたくて、塚田誠一元支配人と再会した。彼はこの劇場の初代支配人で、90年代後半は「キネティック」という自分の会社でヴィンセント・ギャロ監督の『バッファロー'66』(98)の配給・宣伝を手がけ、記録的な大ヒットを飛ばした。キネティック時代にも取材をしたことがあるが、話を聞くのは本当に久しぶりだ。 


 まずは80年代にシネ・ヴィヴァンで上映された『コヤニスカッティ』(82)や『緑の光線』(85)の劇場プログラムを取り出すと── 


 「なつかしいですね……。あの劇場、今となっては、巨大ダムの下に沈んだ映画村ですよ」 


 六本木ヒルズとシネ・ヴィヴァンの関係についてそう語る。前回、書いたように、かつてシネ・ヴィヴァンがあった場所は、今は六本木ヒルズというビル群に吸収されてしまったからだ。 


 「もっとも、ヒルズを建てる話は、あの当時から出ていたようで、WAVEは期限付きの建物だったようです」 


 シネ・ヴィヴァンの入ったWAVEの営業年数は16年と短く、世紀の変わり目の99年で閉館となった。 


 「もともとWAVEは音と映像の総合的なビルを作ろうということでスタートした建物でした。映画館のシネ・ヴィヴァンがあり、その上はソムリエ的な感覚でレコードを集めたレコードショップ、その上が録音スタジオ。そんな3つの構成でした。歌手のマイケル・ジャクソンが来日した時、WAVEを貸し切りで使って遊んだという話もあります。今となっては都市伝説みたいなものですが……。確かに他にああいうビルはありませんでしたよね」 



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